サッカーの言葉

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ロベルト・バッジオが嫌われた理由

2006年10月27日

リッピは私を亡き者にしたかった。しかしそれは不可能だった。
ロベルト・バッジオ自伝「天の扉」から

ロベルト・バッジオは、多分、ここ数年のサッカー界で、もっともファンに愛された選手の一人だろう。彼のサッカー人生は、華麗なプレイとともに、世界中の人々の記憶に残っている。
しかし、もう一つ、バッジオの人生に欠かせないストーリーがある。
それは、あれほど世界中のサッカーファンに愛されたロベルト・バッジオが、監督にだけは嫌われ続けた、という事実だ。

国民やメディアからは圧倒的に支持されて、監督からは嫌われる。
ワールドカップのたびに、バッジオを出場させるべき、と考えるメディアや国民の声が沸騰し、そのままその声がイタリア代表監督たちへのプレッシャーになった。
セリエAでも、それは変わらない。バッジオを抱えた監督は、そのまま、バッジオというストレスを抱え込んだ、という態度を取ってきた。
バッジオがいることでチームが乱れるとこぼし、バッジオがいかにチームによくないか、ということを述べ立てた。

その中でも、インテル時代のマルチェッロ・リッピ監督は、バッジオにとって、どんでもない意地悪爺さんだった。
マルチェロ・リッピと言えば、先日のドイツのワールドカップでイタリア代表を24年ぶりの優勝に導いた名将である。彼はチャンピオンズリーグとワールドカップの両方を制した唯一の監督でもある。

そのリッピが、バッジオには出場機会を与えず、練習中にはあからさまな嫌がらせをし、バッジオは食事さえ監督の許可がないと食べられない、という仕打ちを受けた。

きっかけは何だったのだろう?
リッピはロベルト・バッジオとの最初のミーティングで、バッジオにスパイになるように依頼していた、というバッジオ自身の証言がある。

リッピは唐突に、今インテルの足を引っ張っている選手、彼の仕事を邪魔する選手は誰なのかを知る手伝いをしてくれないか、と言ってきた。要するにスパイになれ、ということだよ。ぼくははっきりと言った。『監督、ぼくはあらゆる点であなたを助けるつもりです。でも名前を挙げることだけはできません』

バッジオはその依頼を断り、それ以来、リッピの意地悪爺さんが続いた、というのだ。

バッジオは、控え選手の一番後ろにリストされ、ずっとベンチにいて、時にはウォーミングアップをさせられたのに、出場機会を与えられない、という仕打ちも受けた。

そして、ここがバッジオのすごいところなのだが、リッピがそれでも、時にはバッジオに出場機会を与えると、あっという間に逆転勝利に導くゴールを上げてしまうのだ。
観客は喜び、リッピの立場はさらに悪くなっていく。

当時、インテルのゲームをテレビで見ていて、セリエAの解説を加茂周元日本代表監督がやっていた。
ロベルト・バッジオが逆転のゴールを決めた瞬間、解説者の加茂は「この選手は・・・本当に・・・」といったまま言葉を失った。
感動と驚きが一緒になって、加茂の開いた口をふさいでしまったような状態になったのだ。

現代のサッカーが、より事業として意識され、勝利が業績として認識されるようになり、監督の手腕と責任は、企業の社長のそれと同じくらい高くなってしまった。
監督や社長というのは、選ばれた人たちだ。一方で、その地位はとても脆弱で、ちょっとしたことで崩れてしまう。
名監督、名社長と言われる人ほど、その矛盾を肌で知っている。
だから彼らは、自分が責任を取れる範囲という枠を、本能的に意識する。それを超えたことが発生すると、ピピピと危険を知らせるアンテナが鳴ってしまうのだ。

バッジオは監督が責任範囲と考えているこの枠を、軽々と超えてしまう。
「勝利のため」という矢印と「国民を喜ばせる」という矢印が、完全に一致して、彼のプレイは興奮を呼び込む。
監督は、本能的に、こんな矢印がチームにあったら、おれは責任が取れない、と察知する。

しかし、記憶に残る名選手とは、結局そういう選手だ。
マラドーナ、クライフ、カントナ、ジョージベスト、中田英寿、僕らが記憶に深く刻む選手たちは、もし、今の時代にいたら、事業家である監督とはきっとぶつかっていただろう。
バッジオは、サッカーがスポーツから事業へ変化し、監督が社長に近くなっていく、ちょうど時代のハザマにいた。

サッカービジネスはもはや変わったのだ。バッジオみたいな選手は二度と現れない。
それはさびしいが、仕方のないことかもしれない。

しかし、一つだけかなり気がかりなことがある。それは、バッジオのような選手が、他の選手を成長させる力があった、という点だ。
ロベルト・バッジオがサッカー人生の後半でプレイした、ブレシアというチームには、今イタリア代表でもっとも輝いている、アンドレ・ピルロと、ルカ・トーニがいた。
トーニは、バッジオからのパスを受けてフォワードとして開花し、ピルロはバッジオの少し下のポジションを獲得し、自分の得意エリアにしてしまった。

最近、僕はこれから会社を選ぶ人々に、会社のブランドだけに目をとらわれず、自分を成長させてくれる会社を選ぶように進めている。
それは、小さく、勢いがあり、自由と野心が残っている場所だ。

サッカー選手が、自分を成長させる場所を見つけるとき、その選択は、きっと同じではないか、と考える。
それは、きっとまだ今でも、バッジオがプレイすることを許される場所だろう。

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コメント

投稿者 テッケ : 2006年11月12日 16:00

>しかし、一つだけかなり気がかりなことがある。それは、バッジオのような選手が、他の選手を成長させる力があった、という点だ。


このことに関しては、私も同じようなことを考えていました。ピルロやトーニ以外にも、MFのフィリッピーニ兄弟やアルバニア代表FWターレも、バッジオと一緒にプレーをしたことで、才能を開花できたのではないでしょうか。

そう言えば、FWのモンテッラ(ASローマ)も、マンチーニ(現インテル監督)のパスによって、FWとして大切なポジション取りを学んだそうです。マンチーニは、モンテッラが望んでいた場所に確実にパスを供給したようです。

ベテラン選手が若手を育て、その若手がベテランになったときにまた若手を育てる。イタリアサッカーの底知れぬ強さを感じます。

投稿者 toby : 2007年11月11日 17:19

かなり前の投稿のようですが、一言だけ、是非コメントさせて頂きます。

バッジョってばすごい!!!

彼の本を読みたくなりました。



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