オシムの怒りはどっちに転ぶか?

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オシムの怒りはどっちに転ぶか?

2007年07月11日

最後のいいところまで仕事をやっていながら、一番大事な仕上げができなかった
アジアカップ カタール戦引き分けでオシム監督のコメント

オシムが試合後のインタビューで怒った。レポーターに食って掛かっているように見えた。
聞き手のレポーターは、カメラを無視して詰め寄られたのだから、たまったものではないだろう。とても、二つ目の質問をするような状態ではなかった。

内容を見ていれば、どういう結果か分かると思う。勝ち点6を取ってもおかしくない内容だった。事故、あるいは不注意の結果、こうなった。最後のいいところまで仕事をやっていながら、一番大事な仕上げができなかった。日本のサッカーは強い。力を付けている。だが、こういうところでチャンスを決められない。これを直さなければいけない。

文章にすると伝わらないが、オシムの顔は「あー? 見りゃわかるだろうが? ぼけたこと聞くなよ、このスットコドッコイ」というドスの効いた顔をしていた。
「こえーな、このおじいちゃん」僕は思わずそうつぶやいた。
レポーターさんはお気の毒だ。日本サッカーのために犠牲になってくれてありがとう。

オシムは最悪を考える。ここに最悪の結果は書きたくないが、ずるずると勝てなければ、その悪影響はこの大会だけに留まらない。
今が怒るときだ、そうオシムのアラームが鳴った。
もちろん、怒りは本気で、しかも選手に向けられたものだが、経験を詰めこんだ腹の奥で、世論や協会へのメッセージと効果を計算しているだろう。

その後、控え室でも怒りは爆発し、通訳がオシムの怒号を翻訳できず泣き出した、という報道まで流れた。
怒るときは言葉なんてどうでもいい。徹底的に怒ったほうがよいのだ。彼の経験は、そういっている。

オシムが選択した「怒り」を、選手たちがうまく消化(昇華)できるか、その点はどうだろう?

前回のモンテネグロとの試合で、オシムの怒りは中村憲剛に向けられた。
ペナルティエリアでフリーの山岸にパスを出さずに、シュートを選択した場面だ。オシムは名指しで中村憲剛を批判した。
「得点を挙げれば新聞の1面を飾ったり、TVで取り上げられるということが頭にあったのかもしれない」

その怒り方はイマイチだ、と僕はそのとき思った。
中村憲剛にマスコミを気にするつもりなど微塵もなかったはずだ。
それに日本人はただでさえ、ペナルティエリアでパスを選択する。リスクを冒してもゴールを狙う、というのは僕らの代表に絶対に欲しいメンタリティだ。「パスを選択しろ!」なんて怒らないでくれ、とそのとき僕は思った。

しかし、オシムの立場にたてば、中村憲剛への怒りと、今回の怒りはつながっているような気もする。
世界と闘うつもりがあるなら、ギリギリの場面で最善の選択とパフォーマンスを見せろ、そういうことだろう。
シュートで終われば、ミスしてもオッケーなんて、僕みたいな考え方は、育成かアマチュアの話だというわけだ。

今回オシムは選手を名指しはしなかった。それでも、決定的なシュートをミスしたり、相手にフリーキックを与えた選手は、人一倍オシムの怒りを重く受け止めているだろう。
その該当者が、オシム依存度の高い選手たちなのも気がかりだ。

日本人の協調性は美徳だが、結果を求める戦いとの共存が難しい。
協調性がいつの間にか、手段ではなく目的になってしまう。
部長のためとか、課長のためとか、だれだれさんのため、というセリフが聞こえてきたら、そのチームは要注意だ。
「その人が喜ぶ」が目的化したり、「その人が怒らないように」妥協をして間違った選択をする、ということが起こりがちだ。

中村憲剛にしても、オシムチルドレンにしても、「オシム先生に怒られないように次はちゃんとやろう」と彼らがそんなふうに考えるなら、オシムの怒りは無駄になってしまうだろう。

「死ぬ気で勝ちに行かなければ勝てない」
「本当にギリギリで、最善の選択をしてこそプロ」
ベトナムの気候よりもうっとうしいオシムの怒りは、要はそんな単純なことを伝えようとしている。僕はそう思った。
オシムの怒りを受け止めて(あるいは反発して)、その上で、さらに高い場所に気持ちを持っていければ、、、

次はUAE戦、相手はなりふり構わず来るだろう。サッカーの美しさなんて、どっかに行ってしまう。審判も現地の観客も日本の味方になってはくれない。
だからと言って恐れたり、びびったりする理由は何もない。
日本のサッカーは十分強い。

僕らの日本代表は、オシムの怒りをプラスに変えられるか? 
それとも、消極的な気持ちになって、シュートを打つ足を萎縮させてしまうのか?
もちろん、前者でなければ、お話にならない。

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[投稿者: nori : 2007年07月11日 13:13]

コメント

投稿者 takato : 2007年07月12日 00:31

日本人の協調性は美徳だが、結果を求める戦いとの共存が難しい。
協調性がいつの間にか、手段ではなく目的になってしまう。
部長のためとか、課長のためとか、だれだれさんのため、というセリフが聞こえてきたら、そのチームは要注意だ。
「その人が喜ぶ」が目的化したり、「その人が怒らないように」妥協をして間違った選択をする、ということが起こりがちだ。

長い引用すいません(笑)
素晴らしいです。確かにサッカーにいとわず、日本人はそういうところがありますね。それが結果的にプレッシャーになったり、目的のすり替えが起こってしまったり。

ここは海外経験の血を生かして引っ張っていってもらいたいと思います。

投稿者 オオウチコム : 2007年07月12日 15:04

takato さん、コメントありがとうございます。

>ここは海外経験の血を生かして
オシムの海外経験は、生半可じゃないですからね。

気がかりなのは、オシムと日本選手たちの間に隔たりができてしまうことですね。
「怒り」は僕らの国の日常には少ないので、うまくチームとして消化できればよいな、と思います。
大丈夫だよと言い聞かせつつ、やっぱり心配です。