足りないところからはじまる 高校サッカーの創造性とディテール

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足りないところからはじまる 高校サッカーの創造性とディテール

2008年01月17日

「うちのサッカー」というのはあまりないです。集まってきた子たちで、こういうのが一番いいかな? というスタイルのチーム作りをしています。
流通経済大柏・本田裕一郎監督 優勝会見

高校サッカーが終わった。
いつもながら、この年代がプレイする姿を見るのは楽しい。

今年は高校サッカーのレベルが上がっているな、と実感できる大会だったように思う。
決勝戦でプロに上がる選手が一人しかいないのだから、逆にレベルは下がっている、という見かたもあるが、僕は「監督のチーム作り」という面で、ここ数年で相当にレベルが上がったという印象を強くした。

何か一つの流行の形がある、というわけではもはやない。
ボールポゼッションを重視する一方でディフェンスの甘いチームがあり、早いプレスと少ないボールタッチで小気味よい攻撃を作るチームがあり、一方でロングボールを蹴って走るチームもあり、試合によってはガチガチに守るチームもあった。
ただ、かつてのイメージのように、単純な戦術の中に選手が閉じ込められているようには見えなかった。

戦術が進歩したのだろうか? どうも私には進歩しているのは、むしろ指導者のクリエイティビティーとディテールの部分に見えた。
おおざっぱな戦術では語れないようなレベルで、選手たちの強みを生かし、組織の勝負をしているように見えた。

恐らく、野洲高校のサッカーが優勝したときから、あるいはオシムが千葉で勝ち始めたあたりから、ゆっくりと大きく変わるうねりが見えてきたように思う。
それは、弱いチームの戦い方が、必ずしもつまらないサッカーではない。むしろ世界を目指してもいいサッカーだ、というそんな感じのおぼろげな答えだ。

もちろん、少し斜め目線から見れば、ネガティブな状況が、そういった創造性とディテールを育んだともいえる。もはや強豪校でも傑出した才能を集められない、という事情はある。個が弱いなら仕方ないから組織でと、一見ネガティブな選択にみえるが、はたしてそうだろうか?

僕自身、仕事の上で創造力を発揮するのは、決まって周囲が困って途方にくれているときだ。いつも不思議に思うのだが、目の前に困った状況がないと自分は力が発揮できない。足りない場所からスタートして、もがきながら進むと、やがていい結果に行きあたる。

強豪校というスタンダードが崩れて、高校サッカーには足りない状況が生まれた。
古いものが壊れた。かといって目の前に確かな道があるわけではない。目の前に集まった選手も、トップレベルの選手ではない。しかし、そこには混沌と一緒にチャンスがある。だからこそ、その中で何ができるかを考える状況が生まれた。

決勝戦で僕が一番印象に残ったのは、流経大柏の上條選手のポストだった。少し左サイドよりに立って、長めのボールを受けるとダイレクトでポストをする。ポストプレイというと、もっと体を張って、味方に「うんしょ」と重くボールを渡すイメージがある。

しかし、上條のそれは軽く速かった。ちょっと脚色するが、鳥が飛びながら水面ぎりぎりで魚をくわえるような、パシッという音が聞こえるか聞こえないかのポストだった。
それがはまると、流経大柏側にアクセルが入る。多分、高校サッカーであんな展開を見ることはめったにないように思えた。

そのポストの基点には速く厳しいプレスがあった。藤枝は、かなり前に蹴らされていた。それまでの試合で、藤枝の選手の個のレベルは比較的高く見えたし、パスをつなぐことを信条とするチームだった。それを追いこんだ流経大柏のプレスは半端なレベルではなかったように思う。

「うちのサッカー」とか、「私のサッカー」というのは、あまりないです。集まってきた子たちで、大体今年はこんな感じかな? と、何試合かの練習試合の中で、こういうスタイルが一番いいかな? というスタイルのチーム作りをしています。

とらえどころのない監督で、あまり本音を話すようには見えないが、本田監督が勝つために、決まった方法を選択しているようには見えない。その時の選手のコンディションなどから、状況に応じてクリエイティブに考える。

そういった状況の変化に耐えられるように、普段の練習で基本の技術のディテールを詰めていく。流経大柏の場合は、速いプレスであり、こねくり回さない縦のドリブルと少ないタッチ数で前に運ぶ動きなのだろう。

クラブチーム 対 高校サッカーは、高校側の地盤沈下という図式で、ここしばらく語られてきた。地域の優秀な選手が、みなクラブチームに吸い上げられてしまうので、高校サッカーでは優秀な選手が育ちにくくなったと。

選手のレベルがそうだとして、しかし、指導者のレベルはどうなのだろう?
僕にはまったく逆のグラフの傾きが見える。おおざっぱにいって、高校の指導者の方が上に見えるのだ。

Jのクラブというブランドの箱の中で、選手を終えた指導者がさしたる経験もなくユースのコーチにつく。目の前には地域でトップクラスの子供たちが集まり、コーチは試合のアレンジとチーム作りを中心に考える。
もちろん、クラブチーム側にも優秀な指導者はいる。しかし、一方で本当に地域や子供たちときちんと向き合える人間的な素養はかけている、と感じることも多い。

野洲の山本監督の講演を聞いたとき、そもそも滋賀県の子は京都に行ってしまい地元の高校に行きたがらない、という話を聞いた。そもそも滋賀の端っこにある県立高校にいい選手は来ない。何もかも足りないところがスタートで、本気で世界を目指すサッカーを作る。

今回の流経大柏の本田監督をテレビで見たときも、僕が目にしたクラブチームの指導者とは、一段レベルの違う人間に見えた。
高校サッカーの指導者は、単なるサッカーの指導者である以上に、足りない地点からものを作り上げる、ひときわ創造性の高い卓越したマネージメント力が求められているように思える。

そう考えるとき、今後日本のサッカーを作り上げる指導者は、案外、高校サッカーの系譜から生まれてくるのかもしれない、とそんなことを思った。

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[投稿者: nori : 2008年01月17日 09:10]

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