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<title>サッカーの言葉</title>
<link>http://www.ouchi.com/</link>
<description>モウリーニョ、日本代表、中村俊輔、遠藤保仁、などサッカーの印象的な言葉を書き留めて・・・・・
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<title>フィンケ監督　浦和レッズとの子作りはうまくいくのか？ </title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「私たちはボールオリエンテッドなプレースタイルという子供を産もうとして、今はその妊娠期間に入ったわけです。この状況ではクラブにかかわるすべての人間が同じ方向を向いて『子供』を産む努力をしなければなりません」</strong><br />
フォルカー・フィンケ監督　月刊浦和レッズマガジン　2010年4月号</blockquote>

<p>フォルカー・フィンケがレッズの監督に就任し、山田直輝や原口元気、高橋峻希がユースから昇格したとき、「ああ、つながったんだ」と僕はそう思った。</p>

<p>たまたま、僕は2005年と2006年のレッズのジュニアユースのゲームを数試合見ていた。2005年のチームには山田直輝と高橋峻希がいた。個々の選手の動きまでは記憶していないが、選手たちがよく走って、パスがつながっていく魅力的なサッカーを展開していた。2006年には小学生から有名だった原口元気が、フィールド上で躍動していた記憶が、今でも目に焼き付いている。<br />
そのころのレッズのジュニアユースは、ボールも人もよく動く、魅力的なサッカーを展開していた。</p>

<p>一方、当時の浦和のトップチームは、ブッフバルトが監督で、ジュニアユースのサッカーとは、サッカースタイルが違っていた。<br />
2005年の時、レッズユースから昇格した選手の名前を聞いた記憶がなかったし、しかも、トップとユースでは、サッカーのスタイルも、選手補強の方針も大きく違っているように見えた。ジュニアユースやユースの子供たちが、トップチームで活躍するのは、相当難しいかもしれない。当時の、僕はレッズのジュニアユースに魅力を感じながら、そんな思いで、彼らのプレイを見ていた。</p>

<p>しかし、フィンケの登場でレッズのサッカーはがらりと転換する。スタメンに原口元気や山田直輝の名前が登場する。短く速いパスが山田や原口を巻き込みながら展開していく。<br />
じゃあ、そのフィンケについて書こう、とフィンケについて本格的に調べ始めると、どうも違和感を覚えて、書くのにつまづいてしまった。<br />
この監督にはどうも何かが足りない。それが何かはしばらくわからなかったが、フィンケの言葉からは、どうもサッカーの情熱、勝利への執念が感じられないのだ。</p>

<p>僕は、監督たちの言葉を読むのが好きで、何人もの監督のインタビューを読んできた。たいてい、どの監督も、「ああ、この人サッカーが本当に好きなんだな」とか「なんて負けず嫌いなんだ」と思わせるような、サッカーへの愛情と勝利に対する執念が感じられる。その点では、グアルディオラもモウリーニョも変わらない。<br />
しかし、フィンケの言葉からは、それが感じられない。もしかすると、この監督は、勝利に対する執念が足りないのかもしれない、と思えてきた。</p>

<p>フォルカー・フィンケの資料（といってもドイツ語以外のソースは限られる）で目立つのは、クラブチームや育成の施設とか、予算について語っている記事だった。<br />
日本での最近のインタビューでは、戦術（ボール・オリエンテッド）について語る場面も増えているが、そんな時も、まるで「サッカー戦術　その歴史とモダン」という題名の授業を受けたような後味が残る。</p>

<p>フィンケの経歴を見ると、子供のころからサッカーに夢中で、サッカー選手にあこがれてプロを目指していた、というよくある話が出てこない。教師になるとは思っていたが、サッカーと関わるとは思ってもいなかったような口ぶりだ。</p>

<p>サッカーをやっていたのも、それで学費が稼げたからで、プロのサッカー選手になる夢などは微塵もなかったようだ。<br />
実際、フィンケの経歴は、教師でスタートし、その後はバレーボールや卓球のコーチなどもしていたようだ。</p>

<p>その一方で、フィンケのサッカー監督としての実績は、かなりすごい。<br />
SCフライブルクという、予算も哲学もないドイツ二部の小さなクラブチームを、あれよあれよ、と言う間に、ドイツを代表するモダンサッカーのクラブチームに生まれ変わらせてしまう。このクラブチームは、フィンケ前とフィンケ後で、まったく別のチームになっている。フィンケの16年間の長期政権は、大げさでなく、ドイツの奇跡の物語の一つだったようだ。</p>

<p>そのクラブチームで、フィンケは「サッカー・クラブの投資はまず足（選手）より石（施設）に」というスローガンを掲げている。<br />
チームのお金、インフラの整備、模範的な育成組織、時にはクラブハウスの屋根の太陽電池まで、かなりクラブ全体の設計図に、アドバイスをした形跡が見受けられる。</p>

<p>フィンケについて調べれば調べるほど、この人は、根っからの教育者で、それこそ、未開拓の地域で、学校と教育システムを作るプロジェクトにかかわった方が似合っているのではないか、とそんなふうに思えてしまう。</p>

<p>しかし、とにかくフィンケが日本に来て、浦和レッズの育成とトップチームは、ぴたりとうまくつながった。まるで山田直輝たちが、卒業するタイミングに合わせてフィンケを呼んだのではないか、と思うほどのハマり方だ。</p>

<p>育成からトップチームまで、一貫したスタイルのサッカー。<br />
もし、この新しい子供作りに浦和レッズが成功すれば、日本サッカーの歴史においても画期的なことになるような気がする。浦和レッズが、日本とアジアでタイトルを重ねれば、アジアで尊敬されるクラブになってもおかしくはない。少し大げさだが、フィンケと浦和レッズが歩きはじめた道程は、僕にはそんなふうに見える。<br />
その一方で、心の片隅で、レッズにはブッフバルト時代の、リアクション型のサッカーが似合っているという意見にもうなづいてしまいそうになる。基本的には反対なのだが、確かにあの時代のレッズは、輝いていた。</p>

<p>今年も暑い夏がやってきて、浦和レッズは思うように勝ち点を積み上げられない。プロジェクトの設計図はいい。しかし、目の前の試合に勝ちきれない。<br />
フィンケ自身の言葉や表情を見ても、その心の奥底では、短期的な勝利から、距離を置いて、もっと重要な計画を推進しているんだ、と言いたげな行間が感じられる。<br />
僕がフィンケの言葉を調べているときに感じた違和感が、そのままフィールドのゲームに反射されたような風景だ。</p>

<p>フィンケと方向性が同じ、次の監督を見つけ出すのも一つの手段に思えるが、そもそもこのプロジェクトは、相当哲学のしっかりとした監督を見つけて、長期で取り組まなければ、実現できないだろう。果たしてそんな監督が見つかるだろうか？</p>

<p>ここまで書いて来て、どうも僕の中でも結論が出てこない。僕が悩んでもまったく意味がないのだが、腕を組んだまま、鉛筆を転がしたくなるような迷いがある。<br />
どちらに進むにしても、ここしばらくの、浦和レッズのフロントの（変えないことも含めた）決断が、大きくこのチームの進む道を左右するような気がしている。 <br />
特に浦和レッズのファンではないのだが、この浦和レッズの新しい子供がきちんと育つよう、頼むから勝ってくれ、という気持ちになってくる。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2010/08/post_183.html?rss</link>
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<category>サッカー監督</category>
<pubDate>Mon, 02 Aug 2010 15:37:00 +0900</pubDate>
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<title>デルボスケと安西先生　監督の言うべき言葉はそれほど多くない </title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「決勝前、監督が選手に言うべき言葉なんて、そんなにないよ。選手たちは、もう十分わかっているからね」</strong><br />
オランダとの決勝前　デルボスケ監督の言葉　2010年7月10日</blockquote>

<p>ワールドカップが終わって、しばらく時間がたった。時間がたって、僕の中で一番印象に残っているのはデルボスケだ。<br />
スペインが優勝して幕を閉じ、日にちが経てば経つほど、あの大仏おじんさんが、僕の中で大きな存在になっている。</p>

<p>以前、この大仏おじさんについては、書こうと思って調べたが、結局やめてしまった。<br />
その時なぜ、書くのをあきらめたのだろう？<br />
たぶん、実績がすごいのに、それに見合う読む人が「へー」ボタンを押すようなエピソードが見つからず、諦めたのだ。</p>

<p>ワールドカップの後、人に会うと、「大内さんワールドカップどうでした」と必ず話題を振られる。僕はそのたびに、「デルボスケがね、すごいよね」と、口をもごもごさせながら言う。<br />
相手は、「デルボスケ」という名前を聞いて、誰でしたっけ？　と不思議そうな顔で天井を見上げて思い出そうとする。</p>

<p>少なくとも僕の周辺の人たちは、優勝したスペイン監督の名前がすぐにはピンと来ない。<br />
「ああ、そういえば」と言う感じで思い出す人もいるし、「なんか、お飾りっぽい人ですよね」と言う人もいる。「あれだけすごい選手がいれば」と、彼の手腕に懐疑的な人もいる。確かにそう見えるよね、とうなづきつつ、僕はデルボスケの紹介をしていく。</p>

<p>デルボスケは、スペインリーグをレアルの監督として2回優勝している。チャンピオンズリーグも2回優勝している。そこまですごい監督はそんなに多くないのに、ワールドカップでも、とうとう優勝してしまった。<br />
その上、デルボスケは、選手時代も、きっちりレアルマドリードで何度も優勝している。<br />
実績だけでいえば、モウリーニョなんか子供に見えるし、下手したらベッケンバウアーより、すごいかもしれない。</p>

<p>「そんなすごいんですか」と予想通りに驚いて、その後に「どこがすごいんですか？」と聞かれて、僕は少し黙りこむ。<br />
「いや、それがよくわからないんだ」</p>

<p>そこから少し説明を試みる。<br />
戦術は基本重視の、極めてオーソドックスなものであること。ヨーロッパ選手権から引き継いだチームを、あまり変えていないこと。自分を主張せず、選手の力を引き出すのがうまい監督であること。チームは若手から、ベテランのスター選手まで、バランスよく配置すること。ミーティングは短く、ベンチにいても、記者会見でも、感情的になることがほとんどないこと。そして、基本を重視し、忍耐強く、あきらめない監督であること。</p>

<p>「なんか安西先生みたいですね」と、相手が日本人監督の名前を上げる。<br />
いつもニコニコしていて、太っていて、眼鏡が反射して、つい二重あごをいじりたくなる、湘北高校バスケ部の監督だ。<br />
太っていて、一見お飾りに見えて、でも本当はすごくて、あきらめることが嫌いで、基本を重視する。確かに、共通しているのかもしれない。</p>

<p>スペインは南アフリカの大会をかなり苦しんだ。<br />
モウリーニョのまねっこスイス（このスイスの監督もチャンピオンズリーグを2回優勝している）にまさかの初戦敗退を喫したところからチームはスタートした。<br />
パラグアイに苦しめられたり、あのドイツまできっちりブロックを下げて守備を固めてきたり、もう何度も自分たちのパスサッカーは、研究しつくされて、ダメかと思うのだが、安西先生は少しもぶれない。<br />
「私だけかね？　まだ優勝できると思っているのは。あきらめたらそこでワールドカップは終了だよ？」<br />
そうつぶやくと、プジョルが弾丸ヘッドをドイツ相手にぶち込むことになる。</p>

<p>いや、安西先生の話じゃない。<br />
デルボスケの采配の圧巻は、オランダとの決勝で見せた、後半42分のシャビアロンソとセスクの交代だろう。<br />
スペインは、疲れから中盤の展開が荒くなりはじめていた。90分が終了する間際に、シャビアロンソに変えて、セスクを投入する。</p>

<p>あの場面、デルボスケのセスクへの指示は、おそらく中盤のスペースをしっかりと埋めて、組み立てろ、というものだったのではないかと思う。<br />
90分を過ぎようとも、いくら疲労がピークに来ようとも、自分たちの基本を貫けば、勝利は必ず手にできる、というデルボスケのメッセージだ。</p>

<p>シャビが上がったらセスクが下がって、そのスペースを埋める。シャビが下がったら前線のスペースを使ってセスクが上がる。<br />
セスクは、バランスを取りながら、中盤のスペースをうまく使っていく。<br />
そして、シャビもイニエスタも、生き返ったようにチームが躍動しはじめる。早いパスを、足先でぴたりと止めて、素早く蹴る。敵が取れない場所にボールを置いて、自分のスペースを確保する。そんな基本動作が、延長にも関らず、その鋭さを増していく。</p>

<p>最後の延長後半、フェルナンド・トレースが投入されるが、その時の指示も、前線のスペースがあるから、そこをうまく使おう、というものだったようだ。<br />
結果的に、左サイド前のスペースをトーレスがうまく使い、そこからの展開で、イニエスタの劇的なゴールへとつながっていく。<br />
スペースを見つける。そこで主導権を握る。彼の采配に特別なマジックはない。</p>

<p>この決勝戦の前日、デルボスケは記者会見で、こんなことを言っている。</p>

<blockquote>「決勝前、監督が選手に言うべき言葉なんて、そんなにない。この舞台がどういうものか、選手たちは、もう十分わかっているからね」</blockquote>

<p>デルボスケは、それだけの信頼関係を選手たちと、すでに築いているのだ。</p>

<blockquote>「選手たちとの信頼関係がすべての基本だ。私の仕事は、選手たちに毎日の努力を怠らないように言うことだからね」</blockquote>

<p>きっと日本の少年サッカーコーチの多くが、スペイン選手たちの、ボールをピタッと止めて蹴る、という基本を、繰り返し子供たちに語るだろう。<br />
Jリーグのプロ選手たちだって、スペインのサッカーを見て、基本のすごさに思いを新たにしたはずだ。</p>

<p>そして、世界の監督の頂点に、極めてオーソドックスな、デルボスケが立っている。<br />
そのことも、少年サッカーの監督や、Jリーグの監督たちに、響くといいと思う。</p>

<p>デルボスケは多くを語らない。少ないその言葉をまとめると、こんなことになるだろうか？</p>

<p>サッカー監督の言うべき言葉はそれほど多くない。<br />
選手たちとの信頼関係を築き、基本の大切さを伝える。<br />
日々の努力を怠らないよう、決してあきらめないよう、言い続ける。</p>

<p>デルボスケはいつもそこから始める。南アフリカの頂点も、結局、そこで終わった。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2010/07/post_182.html?rss</link>
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<category>サッカー監督</category>
<pubDate>Tue, 20 Jul 2010 12:39:15 +0900</pubDate>
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<title>岡田武史　負けたけど勝ち得た次につながるもの</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「Enjoyの究極はどういうことかというと、自分の責任でリスクを冒すことなんです」</strong><br />
岡田武史氏が語る日本代表監督の仕事とは　2009年12月14日　早稲田大学の講演から</blockquote>

<p>パラグアイに負けた。悔しかった。体の血の90％ぐらいは、悔しさでいっぱいだ。<br />
それでも、終わった後の充実感が、そこに混じっている。少し時間がたった今は、じわじわと「充実感」の水位が自分の中で上がっている。</p>

<p>PKをはずした駒野は気がかりだが、このワールドカップを通じて、日本の弱点＝サイドバックを支えた男を、今まで以上に好きになった。<br />
僕にできることは、駒野がJリーグのフィールドに立つ姿を、スタジアムに見に行くことだ。</p>

<p><a href="http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0912/14/news010.html">岡田監督が早稲田大学で行った講演</a>がウェブに上がっていて、話題になっている。<br />
ワールドカップの開催前と今では、読んだ印象ががらっと変わってしまう。その節操のなさは笑い飛ばすとして、この文章は永久保存だ。その中に印象的な一行があった。</p>

<blockquote><strong>「Enjoyの究極はどういうことかというと、自分の責任でリスクを冒すことなんです」</strong></blockquote>

<p>不思議な響きの一行だ。<br />
「Enjoy」という脳天気な響きと、「責任」と「リスク」という笑顔を封印しそうな言葉が、こうしてコンパクトに同居している。</p>

<p>しかし、パラグアイ戦を終えた今、おぼろげに実感できる。<br />
この南アフリカでの戦いは、Enjoyの究極に少し近づいた戦いだったように思う。</p>

<p>悔しいし、負けたのは事実だ。90分で勝ちきる力はなかった。<br />
中田英寿に、日本はもっとできたはずだ、と言われれば、そうだとも思う。<br />
それにも関らず、何かを「勝ち得た」という実感がある。その勝ち得たものは、「自信」になり、さらに上の高みへと進みたい、という「欲」につながっている。</p>

<p>今回の代表が勝ち得たものは、求めていた「日本のサッカースタイル」というレベルのものではない。その部分は、今後も試行錯誤を続けることになるだろう。</p>

<p>しかし、「チームの結束力」「走力」そして「情報」と「コンディション」、そういった基盤に近いものは、確実に手にした実感がある。<br />
僕が知りえる情報は少ないが、今回の戦いを通じて、日本代表を「情報面」で支えたスカウト陣、「コンディション」をここまで見事に整えたスタッフの力は、大きかったはずだ。<br />
この基盤は、日本サッカーが積み上げてきた一つの輝かしい成果ではないか？<br />
もしそうなら、素晴らしいサッカー・インフラを持つ国になったことを、誇らしく思う。</p>

<p>そして、「責任」と「リスクを冒す」という姿勢。<br />
ミスを犯さないことは大切なことだし、ミスを犯さないように心配したり注意することは得意だ。けれども、ミスを恐れて、攻撃の機会を失っていては、勝利はない。言葉にすれば当り前のことだが、日本のサッカーや、指導の現場に、注入することが難しい要素だった。</p>

<blockquote>
　1つは「Enjoy」と言っています。「楽しむ」ということなのですが、英語で言っているのは日本語で「楽しむ」と言っても何かピンとこないからです。

<p>日本代表選手になるくらいの奴は子どものころ、「俺にボールよこせ」「俺にボールよこせ」とお山の大将です。プロだろうが日本代表だろうがW杯だろうが、そのサッカーを始めた時の喜びやボールを触る楽しみを絶対忘れてはいけないということです。</p>

<p>大人になってくると、「今、ちょっとボールいらない」とだんだんなってきます。なぜか？　「プレッシャーが強いし、ミスをしそうだ」ということで守りに入っているからです。そうしてうまくなった選手を今まで見たことありません。相手を恐れておどおどプレーしたり、ミスを恐れて腰の引けたプレーをしたりする姿は絶対見たくない。「みんながピッチの上で目を輝かせてプレーする姿を見たい」ということです。</blockquote></p>

<p>組織的な守備を継続しながら、それでも前に進もうとする選手たちの姿、それを後押しする岡田監督の積極的な采配や、大きく手を回す姿、そういった姿は、日本サッカー全体を、失敗を恐れずに進んでいく、そんな方向に進めてくれるだろう。</p>

<p>何よりも、戦いを終えた選手たちの表情がどれも素晴らしい。<br />
その選手たちの、「恐れずに世界と戦う姿勢」は、次の世代に、確実に伝搬していくだろう。</p>

<p>思えば、日本サッカーは、ドーハの悲劇を筆頭に、負けた経験、失敗の経験から、少しづつ進化してきた。しかし、今回の大会から、勝ち得たものを糧にして、さらに前に進んでいくことができる気がする。</p>

<p>「日本代表」＝その存在は大きい。<br />
改めてそのことを実感した。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2010/06/post_181.html?rss</link>
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<category>日本のサッカー</category>
<pubDate>Wed, 30 Jun 2010 13:17:48 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>駒野友一　日本代表勝利のカギを握るサイドバック</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「厳しい状況の中でも、しっかりとサッカーができていた。傑出した選手はいないけれど、チームがひとつにまとまってやれば、いいサッカーができることがわかりました。」</strong><br />
駒野友一選手　広島で得たものはという質問に答えて　2008年1月15日</blockquote>

<p>今回はサイドバックについて、それも駒野だけについて書いてみる。<br />
僕自身は、サッカーをプレイした経験がないし、ましてサッカーフィールドのサイドラインに立ったこともない。間違いもあるだろうから、その点は指摘してほしい。</p>

<p>駒野の特徴は、ボールを持った時の選択肢が豊富なところだ（と思う）。サイドバックと言えば、サイドの守備とサイドを駆け上がってのセンタリングだが、駒野はもっと早い段階で、鋭いパスを出すこともできる。バリエーションが豊富なのだ。</p>

<p>たとえば、デンマーク戦の最初の日本のシュート、松井のおしゃれな飛び込みは、記憶に刻まれているだろう。もし、あのゴールが決まっていたら、日本中の子どもたちが、あのプレイをマネしていたことだろう。それ以上に、早い段階で、日本の脅威をデンマークに植え付けた点で、極めて効果的だったはずだ。</p>

<p>その松井にパスを出したのは大久保だが、その大久保にパスを出したのは、最終ラインのポジションにいた駒野だ。後方から、一発で逆サイドの遠い場所でフリーになっていた大久保にパスが通る。そこからあのシュートシーンが展開された。<br />
駒野のそのパスは、正確で適度に速い。日本のディフェンス陣から出た、もっとも美しいパスだったと思う。</p>

<p>次は前半13分、長谷部のシュートシーンだ。自分のテレビが突如、３Ｄになったかと思うほど、顔をそむけたあのシュート。<br />
その長谷部にパスを出したのは松井だが、その時点で、長谷部と並走する駒野にもパスを出すことができた。駒野は長谷部にパスが出た後も、長谷部と並ぶように前に進む。デンマークの守備陣は、長谷部と駒野の両方を気にしたため、心持ち横に開くことになる。プレスがほんの少し弱まり、長谷部はミドルを振りぬく。</p>

<p>駒野はこの場面のほかにも、パスが出ない上下動を繰り返している。サイドバックは、サイドを上がるが、パスを受けられずに仕事を終えることも多い。自分にパスが来たり、味方がシュートで終わればよいのだが、ボールを取られでもしたら、センターバックから大声で「早く戻れー」と叱咤される。<br />
上がる、下がるといっても、守備すべきスペースを空けることになるので、その時々の判断が難しい。思い切りの良さと、慎重さの両方を使い分けなければいけない。チーム状態が自分の精神面に及ぼす影響が大きいポジションだ。<br />
上がっては下がり、けれども自分にボールは出ない。それは相当に疲れるはずだが、駒野はこの上下動を繰り返す。駒野が上下動を繰り返すことで、味方のプレイの選択肢が増え、その分、敵の自由度が反比例して削がれていく。</p>

<p>そして、「ホンダ」のフリーキックの場面だ。このフリーキックで「ホンダ」は自動車会社より有名になった。そのフリーキックのファウルは駒野のスローインから生まれている。サイドバックのお仕事の一つにスローインがある。スローインは、大した仕事に見えないが、セットプレーの一つだと言うこともできる。ボールが出て、ちょっとゲームが休みになるので、敵が切り替えに失敗すると、プレイが乱れ、あっという間に失点につながる場合もある。</p>

<p>デンマーク戦で駒野は、迷いなくスローインを投げ込む。長谷部に届いたボールに対して、デンマークのディフェンスは、ちょっとあわてて当たりに行く。審判が変な人だったので、ここで笛が吹かれて、世界中が絶賛する「ホンダ」のフリーキックのためにボールがセットされる。<br />
駒野は意図したわけではないので、このスローインを褒められても困るだろうが、駒野が素早くスローインをしなければ、日本の名場面はなかったかもしれない。</p>

<p>そして前半の終了間際に、駒野自身が独走して中央に切れ込み、シュートまで行くシーンがある。なぜかハイライトシーンでは省かれがちだが、ドリブルとコース取りと決断力でも、駒野が優れた動きを見せている。デンマークはサイドの守備を怠ると危険なことを思い知っただろう。</p>

<p>サイドのスペースの守備は、言うまでもなくサイドバックの大切なお仕事の一つだが、駒野は中盤やセンターバックと連携しながら、効果的な仕事をしている。<br />
もちろん、反対側の長友も、対人の守備と、鉄人のスタミナで相手に脅威を与えている。駒野は対人守備というよりバランスを取りながら、相手のサイド攻撃をじわじわと削いでいく。</p>

<p>デンマークは前半で、戦術的にサイドの攻撃が計算できない状態になり、サイドの守備を怠ると危険なことを思い知る。その時点で、後半は中央からボールを放り込むしか選択肢がなくなっている。ロングボールは、日本にとって嫌な攻撃の形だが、攻撃のバリエーションが減り、予見可能な範囲に収まれば、準備をして防ぐことができる。</p>

<p>こうして見ると、日本は、前半でデンマークの選択肢を狭めることに成功している。デンマークが弱く見えたのは、サイド攻撃の選択肢をじわじわと失ってしまった点も大きい。<br />
駒野がいることで、岡田監督の采配の自由度が広がり、逆にデンマーク側の監督の自由度は反比例して狭くなっていった。堀池さんが「巧み」スタンプを押すわかりやすさはないのだが、確実に駒野が効いている。</p>

<p>駒野が世界レベルのサイドバックかどうかはわからない。残念ながら、単独でサイドを突破する迫力はない。しかし、駒野は、左右のポジションを遜色なくこなせて、左右どちらの足からも、正確なセンタリング（時々乱れる）が上げられる。90分間乱れることなく忠実な上がり下がりができて、しかもビルドアップの選択肢が、ディフェンスラインからでも、中盤からでも、前線にオーバーラップしても、かなり幅広く正確にこなせる。</p>

<p>デンマーク戦を3-1で終え、僕にとって人生で一番幸せな朝を迎えた。その後はどの番組を見ても、どの記事を読んでも幸せを感じたが、そこに駒野の名前がないことに気がついた。<br />
駒野の貢献度は低いのだろうか？　不思議に思って録画を見直すと、多くの場面に駒野が貢献しているような気がして仕方がない。特に前半の攻防が、このゲームの勝敗を分けたが、その下地を駒野が作っている。<br />
以前、広島ユース監督の森山佳郎（ゴリさん）の話を聞いたときに、「駒野は試合を終えると、廃人のように消耗している」と言っていた。今回も、切り替えの多様さで、相当に消耗したはずだ。</p>

<p>もちろん、今回の日本代表の躍進は全員でつかみ取ったものだ。サイドバックと言えば、長友の貢献度ももちろん大きい。<br />
今回の日本代表は、左右のサイドバック個々というより、その二人を足し合わせた「両サイドの足し算」で世界レベルにある。しかも、左右をいつでも入れ替えられる、というミラクルな采配ができて（オランダ戦で実際に左右を効果的に変えた）、両サイドは、足し算以上の威力が出ている。</p>

<p>思えば、日本のサッカーの歴史は、サイドバックに苦労してきた歴史だ。逆にいえば、日本サッカーの成長は、サイドバックの進化と比例しているのかもしれない。<br />
長友は海外からも注目され、メディアの報道も増えている。それはそれで素晴らしことだが、それに比べて「駒野」という文字が極端に少ないのは、不公平じゃないか、と僕はひとりでぶつぶつ繰り返している。ここに一人ぐらい「日本代表の勝利は駒野が握っている」と書くブログがあってもいいだろう。</p>

<p>僕の思い入れもあるだろうが、駒野も、また今回のワールドカップでじわじわと成長をしている。サイドプレイヤーと言うのは、俗に言う「使われる選手」だ。チームの一体感は、大きく影響する。広島で大きく成長したように、チームが一丸となっている戦いの中で、何よりもプレイヤーとしてのプライド、自信がついているような気がする。</p>

<p>駒野友一が日本代表の勝利のカギを握っている。駒野というサイドプレイヤーが進化したとき、日本代表はさらにもう一歩、勝利に近づく。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2010/06/post_179.html?rss</link>
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<category>日本のサッカー選手</category>
<pubDate>Mon, 28 Jun 2010 08:14:01 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>ワールドカップ　影の主役はモウリーニョ？ </title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「（チャンピオンズリーグ）は、ワールドカップよりも重要だ。なぜなら、ベストプレーヤーたちを買えない代表チームよりも、チャンピオンズリーグに出場するチームの方がずっとレベルが高いからだ」</strong><br />
ジョゼ・モウリーニョのワールドカップに対するコメント　2010年5月19日</blockquote>

<p>さて、ワールドカップも１次リーグの半分以上を消化した。やがて終わってしまう日が来るのが、今から悲しい。僕は、尊敬する職業＝サッカー監督なので、今回もサッカー監督に注目しつつゲームを見ている。</p>

<p>一つの傾向として、「強豪国　x　定番監督」の組み合わせが苦戦している印象だ。<br />
フランスのドメネクは、あんなもんだろうと思うが、イングランドのカペッロとイタリアのリッピの二引き分けには正直驚いた。スペインのデルボスケも苦しそうだ。</p>

<p>がっかりする場面もあった。スペイン対スイスの試合は、１次リーグの中で注目のゲームだったが、スイスは、メッシのいないバルサ（スペイン代表）に対して、「なんだよモウリーニョじゃん」という戦術を選択した。<br />
カメルーン戦の日本の戦い、アルゼンチン戦の韓国の前半の戦い、なども同様に、いわゆるモウリーニョ的な影がちらついた戦い方だった。</p>

<p>モウリーニョの言っていることは確かに正しい。<br />
今や最高のサッカーはワールドカップにはない。直前のチャンピオンズリーグの戦術が、ワールドカップにコピーされる。<br />
特に今回の直前のチャンピオンズリーグで、バルサを破ったモウリーニョの戦術は、印象に強く残った。</p>

<p>4年前ドイツのワールドカップで、リッピが「中堅の守備が勝利の要」と言っていたが、4年たって、守備のブロックは、さらに後ろに下がってしまった。<br />
ワールドカップ全体がこのまま守備的な大会になれば、「影の主役はモウリーニョ」みたいな見出しで総括されるのだろうか？</p>

<p>守備ブロックを下げて守り切る、と言葉にすれば1行だが、それは簡単なことなのだろうか？　<br />
かつてヒディングも、チェルシー時代にバルサ相手に同じ戦術をとったが、失敗している。今大会を見ても、スイスはかろうじてスペインに勝てたが、アルゼンチン相手に韓国は失敗した。それはきっと言うほど簡単ではないはずだし、大会を通じて意味のあるものにはならないだろう（韓国は前半であきらめて、結果はともかく、すごくよくなった）。</p>

<p>第一、モウリーニョと、モウリーニョ的なものは違う（ここは長くなるので割愛）。<br />
いずれにしろ、サッカーの見本市であるワールドカップが、超守備的な空気が支配するのは、できれば避けたい。</p>

<p>今回のワールドカップは少し楽しみ方を変えることにしよう。確かにチャンピオンズリーグからはレベルが落ちるだろうが、そこから光るものを見つけたい。<br />
「強豪国　x　定番監督」を苦しめる監督、そして、えせモウリーニョ的な展開から抜け出す監督を探してみたい。</p>

<p>僕がこのワールドカップで、気になる監督は、アメリカ、チリ、ガーナの3チームの監督たちだ。彼らは、組織的なチームを作り上げていて、しかも、リスクを冒して前に向かうポテンシャルが感じられる。</p>

<p>チリのピエルサはすでに有名だ。オシムが倒れた直後の岡田監督との初戦は、見事な戦術が印象に残った。今回のチリ代表は、出場チームの中でもかなりいい出来に仕上がっている。</p>

<p>アメリカは、いよいよ強さが本物になってきた。もともと選手の戦術理解の質が高いチームだが、バランスのよい、モーチベーションの高いチームが出来上がっている。2点リードされた後のセルビア戦の後半の交代策など、ボブ・ブラッドリー監督の手腕も鋭い。</p>

<p>そしてガーナ。ガーナの監督はセルビア人のミロバン・ライエバツだ。実績こそ少ないが、どうも名監督の匂いがする。エッシェンという絶対的な主役を失ったが、むしろそこからチームをまとめあげて、結束は固くなった印象がある。</p>

<p>ガーナは今、手負いのライオンとして、納得ずくでチーム全体が守備に徹しているが、成長するポテンシャルがもっとも強く感じられるチームだ。<br />
現在の勝ち点は、PKに助けられている状況だが、今後彼らが躍動することに期待したい。（まずはドイツ対ガーナ）</p>

<p>この3チームの監督が、うまく決勝リーグに残り、どこかのチームが、ベスト4まで進んでくれた時、おそらく「今大会、影の主役はモウリーニョ」という見出しは、意味がなくなっているだろう。</p>

<p>そして、日本。<br />
初戦のカメルーン戦は、「土壇場リアリスト」がぎりぎりで間に合った感じだ。<br />
（<a href="http://www.ouchi.com/archives/2010/02/post_177.html">「岡田監督　あなたがリアリストに戻るのなら」</a><br />
<a href="http://www.ouchi.com/archives/2010/02/post_177.html">http://www.ouchi.com/archives/2010/02/post_177.html</a>）</p>

<p>サッカーの良し悪しはともかく、ジョホールバル以来の見事な采配を見せてくれた。カメルーン戦は、まさに「モウリーニョを少し意識したでしょ？」と肘でつつきたくなる、本当にぎりぎりの大胆な方針転換だった。<br />
（土壇場にならないとダメだから面倒くさい人だ）</p>

<p>そしてオランダ戦。<br />
偉そうに言って申し訳ないが、岡田監督は「モウリーニョ的」な超守備的なサッカーから、一歩前に踏み出した、と僕は感じた。<br />
勝負には負けたが、戦う姿勢と、監督采配に関して、ほぼベストな選択を見せた。サイドを入れ替える芸当、トゥーリオを上げる明確な意志など、見事としか言いようがない。<br />
中村俊輔投入に異論が多いが、あの場面で、チームに対するメッセージも含めよい交代だったと思う。ここで明らかになったことが、次につながるはずだ。</p>

<p>デンマーク戦は、ボールを回してくれたオランダより、やりにくい戦いになる。懐の深い相手の、長く速いパスに、受け身になってラインが下がるのが、今までの日本代表だが、きっと岡田監督は、日本がゲームの主導権を握る戦いを挑むはずだ。</p>

<p>日本が決勝リーグに進めば、岡田監督と日本代表は「強豪国　x　定番監督」を、相当苦しめる位置につく。成長したチームは、さらによい仕上がりになるはずだ。その時、「土壇場リアリスト」からは、本当の意味で脱却しているに違いない。</p>

<p>ピエルサ、ブラッドリー、ライエバツ、そして日本の岡田監督。<br />
「強豪国　x　定番監督」に挑む監督たちが、チームを成長させる展開を楽しみたい。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2010/06/post_180.html?rss</link>
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<category>サッカー監督</category>
<pubDate>Mon, 21 Jun 2010 10:53:48 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>NHK 野地俊二 アナウンサー　サッカーを語る行間の勝利</title>
<description><![CDATA[<blockquote>
<strong>試合終了！　ニッポン勝ちました！1対0　薄氷を踏む勝利でした。しかし最後まで緩みのないいい試合でした。</strong><br />NHKカメルーン戦の勝利を伝えた野地アナの言葉
</blockquote>

<p>実にいいサッカー中継だった。日本対カメルーンの初戦。日本は1-0でカメルーンに勝って、初戦の勝ち点３を初めて手にすることができた。</p>

<p>僕は自宅でNHK総合の中継を家族と見ていたが、野地アナウンサーに、山本昌邦、そしてピッチにいた福西、特に、野地アナウンサーのサッカーを見るプロとしての力が本当によく伝わってきた。</p>

<p>せっかくの勝利なんだから、もっと何か別の話を語るべきなのかもしれない。でも、ゲームを見終わった後、「本当にこの試合がNHKの中継でよかった」という満足感が、意外に僕の中で大きかった。</p>

<p>NHKの中継を担当した野地アナウンサーは、本人のサッカーに対する知識も一級品だが、ポイントポイントで、的確な投げかけを山本昌邦に行い（過去の監督実績はともかく解説は一級品）、福西のレポートの言葉を受け取り（福西は実にいい仕事をした）、野地さんは、そこにもう一つの質問を投げかけていた。</p>

<p>アナウンサーの苦労や熟練度がどれほどのものか、残念ながら僕は知る立場にないし、偉そうに語れない。それでも、アナウンサーは、伝える役割と、周りの言葉も引き出す役割のバランスがとても難しい仕事なのだろう、と想像する。<br />
そしてサッカーの何を伝えるか？　その方針決定は、意外に難しいような気がするのだ。</p>

<p>たとえば、前半終了間際の時間帯に、福西へのこんな質問があった。<br />
「福西さん、一人が抜かれた後、サポートのスピード感は、日本どうですか？」<br />
この言葉に含まれるサッカーの行間は、ちょっと他のアナウンサー、特に他局のアナウンサーたちには、出せないのではないだろうか？</p>

<p>日本選手のスタミナが気にかかる時間帯、初戦のリード後の守備の大切さ、一人でも戻りが遅れれば、そこから勝ち点がこぼれ落ちる危険さ。<br />
ボールのない選手の動きを視聴者にしっかりと伝えたい、という意識。そして、自分自身も、選手の近くにいる福西に確認したい、という素直な感覚。</p>

<p>おそらく野地さんにその意識はなかっただろうが、4年前、ドイツで崩れ散った代表チームの一員として、その痛みを背負った福西へ、しっかりと確かめてほしい、という裏の気持ちさえ感じられた（ような気がするんです、ええ）。</p>

<p>一方、後半にはこんな言葉もあった。<br />
「やはりこういうフリーランニングの質が疲れている中では重要になってきます」<br />
長谷部が本田からのパスを受けようと走り出した時の言葉だ。</p>

<p>あるいは、局面での競り合いを伝えながら、さりげなく逆サイドの大久保がフリーだと伝える場面も、二度以上あったように思う。<br />
松井や本田が数的不利な中で、仕掛けること、ための時間を作ることが、どれだけ味方を助けるか、を語る場面も多かった。<br />
先輩のトラさんのような、文学的な行間は足りないが、「サッカーの行間レベル」は高かった。</p>

<p>「サッカーに歴史が必要」と一言で言うが、本当に歴史が必要なのは、監督や選手たちではなく、サッカーを見ている僕らの方だ。<br />
そのためにサッカーを伝えるメディアの品質は、実は日本サッカーの今後の成長にとても大きな役割を果たす。</p>

<p>思えば辛い数週間だった。<br />
負け続けた試合、情けない監督の顔と言葉、目を覆いたくなる采配、子供たちさえ見放す闘志の無さ。<br />
小学生たちがサッカーの練習中に、「もうトゥーリオいらないから」とネタにして言い出す姿を見ると、さすがに情けなくなった。</p>

<p>その責任の多くは局面の最適化だけで岡田監督を選んだサッカー協会と、自分の強みを理解せずに、迷走した岡田監督自身にある、と僕は思う。<br />
それでも、その代表を伝える報道は、あまりほめられたものではなかった。トップの指揮官の「ブレ」を取り上げるのが、最近の流行りなのかもしれないが、協会や監督以上にメディアの視点は、短絡的だったように思う。</p>

<p>もちろん、当日のテレビの在り方も、完璧とは言えない。<br />
ハーフタイムにニュースを挟んだこと（「はやぶさ」のニュースだったからいいけど）、ボールが動き始めているのにリプレイを繰り返した点（エトーと本田が向き合うシーンは目に焼きついちゃったけど）、試合後に本田だけを特別にインタビューしたこと（本田の方がかえって大人だったけど）、そういった点はいただけなかった。</p>

<p>しかし、いい点も多くあった。<br />
飲み屋で語るような勢いだけの精神論もなかった。ピッチにいない俊輔を語り視聴者の集中をそぐこともなかった。家族の話題で高校野球化することもなかった。遠藤の質の高い走りを語らず、がむしゃらに走ることを求めることもなかった。<br />
野球中継から抜け出せない他のメディアとは一線を画し、素晴らしくサッカーを伝えることに集中できていたと思う。</p>

<p>もし、ゲームを録画している人がいたら、じっと中継の言葉だけを聞きながら、見直してみることをお勧めします。はい、とてもいい中継ですし、とても勉強になります。</p>

<p>「チームが一つになれた」<br />
それを勝利の一番の要因に上げることに異論はない。しかし、僕ら視聴者の側も、ぶれずにサッカーに集中できた点は、何％か野地アナが勝利に貢献したような気がする。</p>

<p>初戦の視聴率は50％近くあったという。この南アフリカの初戦で、日本のサッカーを見る目が、また一段上がってくれればうれしい。<br />
スポーツ新聞が、翌日の一面で本田を礼賛する中、これはチーム全員の勝利だろ、とスルーできる視聴者が増えてくれたような気がする。</p>

<blockquote><strong>「試合終了！　ニッポン勝ちました！1対0　薄氷を踏む勝利でした。しかし最後まで緩みのないいい試合でした」</strong></blockquote>

<p>今回の中継を多くの日本人が見たことは、日本サッカーの、小さいけれど偉大なもうひとつの勝利だ。<br />
最後まで、緩みのない、本当にいい実況中継でした。</p>]]></description>
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<category>日本のサッカー</category>
<pubDate>Tue, 15 Jun 2010 17:32:07 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>岡田監督　あなたがリアリストに戻るのなら</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>私にとってそもそも「攻撃的か、それとも守備的か」というくくり方は存在しない。あるのは「リアリストか、そうではないか」という分け方だけに限られる。</strong><br />
ファビオカッペロ　欧州サッカー批評2009</blockquote>

<p>東アジア選手権は、まったくふがいないひどい結果だった。本来なら、怒りをぶちまけて、サッカー協会の皆さんがぐうの音も出ない文句を言いたいと思うところだ。<br />
しかし、なぜか僕の怒りはあまり本質的なところにはないようだ。</p>

<p>人間の怒るポイントは、いつも見た目はささいなところだ。<br />
妻が怒り狂うきっかけも、テーブルの上に新聞を広げっぱなしにしているところとか、「朝起こしたら1度で起きなさいよ」みたいなところで爆発する。（ここの下りを妻が読んだら怒り狂うな）。</p>

<p>その日、2月14日の日韓戦は、審判の奇妙な演出で、国立の舞台に役者が10人づつしかいない、という状況になった。役者が少なくなったので、フィールドには、自然にスペースが生まれていた。日本代表も、ぶれの少ないパス展開で、縦に進めるようになっていた（ゴールの手前まで）。</p>

<p>これだけスペースがあるなら、ここは佐藤寿人を出すのが一番いい。僕ら家族は「こりゃ寿人だな」と言っていた。<br />
そのことは岡田監督もわかっていたのだろう。結局フォワードの交代は佐藤寿人だった。失礼な言い方だが、料理の仕方は僕らと一致していた。<br />
しかし、どうにも佐藤寿人の投入が遅いのだ。いや本当に遅かった。怒っていて何分の交代かは覚えていないが、結局2点のビハインドになって、佐藤寿人に与えられた残り時間はわずかになり、ついでにスペースも消えてしまっていた。</p>

<p>フライパンの上では、ニンニクがいい色になり、もう焦げ始めているのに、フライパンを見つめたままで、次の食材を入れないのは、いったいどういうわけだ？<br />
お前は、何を料理しようとしているんだ？　と僕らは声を荒げてテレビの画面に罵り続けた。<br />
もっと本質的な批判もあるはずなのに、佐藤寿人の投入が遅かった点だけは、今になっても怒りがおさまらない（友人は交代の玉田のゆっくり歩きに怒り心頭だ）。</p>

<p>もちろん、岡田監督の言い分はあるだろう。残りの交代枠と審判のきまぐれさを考えると、ギリギリの時間まで交代のカードは切りたくなかった。あるいは今のメンバーで点を取れるかギリギリまで見たかった。<br />
でもね、結局、出来上がった料理は、これまでで一番おいしくなかったでしょ？</p>

<p>おそらく、無残な敗因は、岡田監督がリアリストの自分を無理やり隠して、理想家の仮面をかぶってしまったことだ。<br />
本来はリアリストなのに、理想家になろうとする。結果的に血の通わない言葉を発し、そのちぐはぐさが、選手の歯車を狂わせ、僕らと代表の距離を遠くさせてしまっている。</p>

<p>選手に自由な発想を期待する、と言いながら、90分間メリハリなく動き続けなければダメだ、と言う。<br />
もっとシュートの意識を持て、と言いながら、二人のフォワードをサイドに開かせて、フォワードの仕事への集中力をそいでいる。</p>

<p>平山というターゲットができて活性化しても、「遠藤が上がったからだ」と、リアリストの象徴の平山を否定する。（もちろん、「遠藤」の件は間違いではない。両方セットなのに、リアリストの理由だけ打ち消すから妙な感じで響くのだ）<br />
その他の起用や交代もちぐはぐで、理想家とリアリストが、混乱したままの状態だ。</p>

<p>本当は岡田監督の真骨頂は、アンチフットボールなぐらいリアリストな面だ。守備を固め、センターバックが上がるのは死ぬほど嫌いだ。可能性の低い理想を求めるより、可能性の高い冷徹で現実的、相手が嫌がるような対策を取る方があっている。<br />
結果的に出来上がったのは、ときどきアーセナルだけど、あとはずっとバタバタと動き続けるチームだ。</p>

<p>監督の抱える矛盾は、絶対にフィールドに反射する。選手たちは、力を発揮できず、ちぐはぐな雰囲気が続く。勝負にこだわったシンプルな韓国に押されていき、最後は土石流のようにチームが崩れていく。</p>

<p>オシムが倒れた時、あっさりと代表監督を引き受けたのは、リアリストのタケシ君の方だった。この空白は、自分以外の他の誰も埋められない、と岡田さんの本能が決めたのだ。<br />
それなのに、「引き受けるからには理想のサッカーを追求する」と、オシムの「サッカーの日本化」からさらに原理主義的に先鋭化したようなサッカーになってしまった。</p>

<p>ベストフォーという目標も、リアリストのタケシ君のままなら、「いや、やっぱり今回はちょっと無理だね。悪い」と早々に撤回していたはずだ。<br />
しかし、今はうつろな目で「ベストフォーだけどそれが何か」という態度にまでなっている。</p>

<p>本来ならこの危機は、リアリストの岡田に戻る最後のチャンスなのだ。<br />
「理想を追求しようと思ったけど、やっぱりやめた。とにかくまず最初の１勝をなりふり構わず取りに行く」と、そう本音に戻ってくれるなら、それなら、僕はあなたをその1勝分だけ信じることができる。</p>

<p>でも、そうでないなら、佐藤寿人の遅い投入に、煮えくりかえった僕の怒りは、もう4年間続くだろう。</p>]]></description>
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<category>サッカー監督</category>
<pubDate>Thu, 18 Feb 2010 11:49:28 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>久々のオシムの言葉　監督の流儀　サッカーの言葉メモ</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「監督は、まずどうしたいかという自分の考えを持つ。それから実現に向けて、仕事を進めていく。そうすべきであって、他人を見てこういうものだと思い込んではいけない。真実は自分自身で探求する。それこそが監督の仕事だ」</strong><br />
Number 739 10月29日 監督入門 オシム インタビュー</blockquote>

<p>少し前だが、本屋にオシムの表紙のNumberが並んでいた。<br />
「まだ、オシムで売ろうとしているのか？」と、ちょっと辟易してそのNumberは、手にも取らなかった。</p>

<p>サッカーの雑誌の売れ行きは、表紙の写真で違うだろうし、オシムが監督の時代には、彼の写真が表紙であれば、売れていただろう。<br />
しかし、いいかげん、もうオシムではないだろう、と僕はそう思った。それでなくてもNumberは、結構オシムを使いすぎる。</p>

<p>そう思っていたのだが、ある人から「これ読みました？　面白かったですよ」と言われて、そのNumberを渡された。とても尊敬している人だったので、前言を撤回して読むことにした。<br />
読んでみると、面白かった。<br />
監督について語るオシムのロングインタビューなのだが、やはり彼の繰り出す言葉は極上だ。</p>

<p>言っていることは当たり前のことなのかもしれない。要するに他人の安易なマネではなく、自分のやりかたを探求して身につけろ、ということだろう。<br />
しかし、オシムが言うと、なぜか、その当たり前の言葉が、違って響く。とても長い道のりを、歩いてきたその行程が、言葉に感じられるのだ。</p>

<p>発売からずいぶん遅くなったが、噛みしめるように読み進めた。</p>]]></description>
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<category>サッカーの言葉メモ</category>
<pubDate>Thu, 03 Dec 2009 12:22:07 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>カズの言葉　悪いことを言われて一流　サッカーの言葉メモ</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「経験から言えば、いいことしか言われない時期は「まだまだ」なんです。悪いことを言われて初めて一流に近づく。それを越えてこそ一流じゃないかな」</strong><br />
三浦知良 日経のコラム　10月30日</blockquote>

<p>書籍を書き始めたり、講演をする機会が増えて、ほんの少しだが、不特定多数に自分をさらす機会が多くなってきた。<br />
しかし、褒められたり、いいことを言われているうちはまだまだだ、という話がカズのコラムに書いてあって、その新聞を切り取ることになった。</p>

<p>僕にはカズがこう言っている感覚は、全然、経験として理解できてない（当たり前だ）。<br />
しかし、確かに自分を社会やメディアに出していく、ということは、ある程度「ぶつかり」を承知で出ていかなければならないのだろう。<br />
全員がほめてくれたり、賛同してくれるわけではない。そのことは理屈ではわかっている。</p>

<p>打たれる経験がなければ、おそらく、ちょっと悪いコメントを言われただけで、耐えられなくなり、そのままひっこんでしまうかもしれない。<br />
でも、それを乗り越えてはじめて、出ていく価値がある。</p>

<p>カズのレベルになれば、ある程度、マスコミや社会がどう反応するかも含めて、言葉を使っているのだろう。場合によっては、波紋を呼ぶことを承知で、言っている言葉もあったのかもしれない。</p>

<p>最近、サッカー選手の言葉が、まじめで無難にまとまってしまっていて、個人的にはつまらないな、と思っている。自分の言葉を語っている選手が少ない。<br />
メディアや人々が、サッカー選手を取り上げることが少なくなってきたのは、彼らの発する「言葉」や「行動」に魅力が感じられないから、という面もありそうだ。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2009/11/post_149.html?rss</link>
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<category>サッカーの言葉メモ</category>
<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 12:06:57 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>子供たちと言語力とサッカーについて　サッカーの言葉メモ</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「自分のサッカーを他人に伝えられるようになったし、他人のサッカーを自分もわかるようになった」</strong><br />
NHKクローズアップ現代「言語力が危ない」11月25日</blockquote>

<p>NHKのクローズアップ現代を見ていると、サッカー日本代表の映像が出てきた。しかし、番組のテーマはサッカーではなく子供たちの「言語力」の話。<br />
成績は悪くないのに、自分の考えを伝える言葉をうまく出せない。そういった事態が増えていて、危機感を強めている、というのだ。</p>

<p>そして日本代表。ドイツワールドカップで、チームがうまく機能しなかった要因に、互いの言葉をうまく伝えられなかった点がある、という話になっている。<br />
サッカーエリートを養成する「JFAアカデミー」でも、子供たちの言語力を伸ばす試みを強化するために、特別な授業を組んでいる。<br />
そして、冒頭の言葉は、その「JFAアカデミー」の子供の言葉。</p>

<p>ドイツワールドカップの敗因については、いろいろつっこみたくなる点はあるが、サッカーについては、僕も思い当たることはいくつかある。</p>

<p>少年サッカーやユースの現場でも、チームが危ない状況になると「声を出せ」という指示を送るコーチは多い。<br />
最近僕が見ている慶應大学のイ・ウヨン監督の選手に対する指示も、「声を出せ」というものが多い（西が丘サッカー場で見ると指示がなんとなくわかる）。</p>

<p>確かに子供たちはフィールドで声を出さない。黙って試合をして、黙って負けていく。現在の悪い状況や、局面を打破する、という思いはあまり前面に出てこない。<br />
これは何も最近の子供たちやサッカーの話だけでもない。<br />
僕らは、状況が悪くなると、まず自分の悪い点を修正しようとまじめに内向きに謙虚になっていく。その結果視野が狭くなっていく。<br />
声を出したり、自分の主張をするのは、相手を責めているような、うるさいやつと思われないか、という後ろめたさがつきまとう。</p>

<p>だからと言って、「声を出す」ことがマニュアル化することは、ちっとも解決にはならない。その点は、コメンテーターも指摘していた。声を出せ、とかゴールをしたら喜べ、とコーチが指示するのもなんだか変な話だが、確かにそうしたくなるほど、静かなチームは多い。</p>

<p>あまりえらそうなことは言えないが、声を出すことを指導する前に、勝利を達成するのがチームの力だ、ということを強く意識することが大事なのだろう。<br />
頭で「声を出す」ことを理解させようとしても、状況は変わっていかない。</p>

<p>子供たちや、サッカーには限らない話だ、とそう思った。</p>

<p>そういえばJFAアカデミーを推進した田嶋幸三氏は「「言語技術」が日本のサッカーを変える 」と言う書籍があったな。まだ読んでない。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2009/11/post_148.html?rss</link>
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<category>サッカーの言葉メモ</category>
<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 10:01:17 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>大学サッカーを見る　年を経てサッカーへの愛が深まる</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>サッカーは好きですね。河原でやっているサッカーとか、そんな何でもないサッカーでもじっと見ちゃいますね。</strong><br />大杉漣の言葉　高原関連のWOWOWの番組で語っていたひと言（記憶に頼っているので正確ではありません）</blockquote>

<p>僕は今年、慶應大学のサッカーを、3試合見ることになった。<br />
2試合は西が丘サッカー場のゲームで、早慶戦と筑波大学戦。これは関東大学リーグと言うメインのリーグ戦のゲームだ。もう一つは、国立で行われた早慶戦で、これは両大学の伝統の交流試合だ。</p>

<p>僕は慶應大学の出身者ではない。それでも、慶應大学のサッカーを見にいくのは、単純にそのサッカーが素晴らしいと思うからだ。ライターの後藤健生さんが、「アーセナルのよう」だと評していたが、少しも大げさではない。</p>

<blockquote><strong>「テクニックを生かしたパス・サッカー」という意味でも、慶応大学の試合を見ているとアーセナルを思い出す（「レベル」という意味では、もちろん比べることすらおこがましいのではあるが......）。</strong><br />JSPORTS　後藤健生コラム　2009年4月25日「アーセナルのような」パスサッカーが魅力の慶應
</blockquote>

<p>速い展開のパスが基本となるサッカーで、ワンタッチやダイレクトのパスで、選手がよく動き、サイドを効果的に使っている。真ん中には足元のしっかりとした選手がそろい、長く正確なパスを出す一方で、スピードのあるパスをぴたりと足元で止めてみせる。<br />
守備の面でも、相手チームへのプレスが、90分途切れることなく続く。ゲーム終盤でも守備のために、長い距離を全速力で走る選手の姿は、胸を打つ。</p>

<p>アーセナルのサッカーは素晴らしい。そうとわかっていても、それを実現するのはとても難しいはずだ。おそらく、それを目指して、グダグダになってしまっているチームは、たくさんある。<br />
レベルの差こそあれ、スタイルとして、そんなサッカーを実現した慶應大学　イ・ウヨン監督の手腕は見事だ。かなり理論的な指導をしているのだろうと想像する。</p>

<p>ただ、サッカーの質が上がっても、大学サッカーの観客は満員にはならない。早慶戦はラグビーや野球はニュースになるが、サッカーの観客席はガラガラだ。<br />
伝統のライバル、シーズンの終盤、4強に入る（インカレに進む条件）重要な一戦、休みで天気のよい日、とこれだけのよい諸条件が揃っても、がっかりするほど、いつもの西が丘サッカー場らしい埋まり具合だった。<br />
(慶応大学の最終順位は5位。インカレは逃したが昇格初年度としては立派な成績だ）</p>

<p>ゆるい客席の風景の一方で、観客は熱く濃い。僕の後ろの席には、慶應ソッカー部(本当にこんな名前）OBの若い社会人がいて、「おれたちのころに比べると格段にレベルが上がったぞ」と喜び、「早稲田に最近勝っているのは決してまぐれではない」ことを誇らしく語っていた。</p>

<p>反対側には、初老の夫婦らしき会話も聞こえる。知り合いの選手がいるらしく、選手をあだ名で呼び、「慶應」関係者らしい(?)落ち着いた会話を交わしていた。ただ、審判が慶應に不利な判定をくだすと、激しく毒づいていた。</p>

<p>西が丘サッカー場では、観客とプレイの距離感がとても近い。ボールや人のぶつかりあう音が聞こえ、ベンチのそばで交代にそなえてアップしている選手と、観客席は軽く挨拶を交わしあったりしている。</p>

<p>僕は、三ツ沢球技場（ニッパツ三ツ沢球技場）と西が丘サッカー場で見るサッカーがとても好きだ。この2つのスタジアムでよさげな試合があるとどんなに忙しくても、行きたくなる。<br />
最近はどうも「チームよりも、スタジアムの方が好き」なのか？　と自分自身を疑いはじめている。<br />
サッカーは、観客とプレイの距離感が大事で、両者の濃い部分がフィールド上で影響しあうと、サッカーのレベル関係なしによい「サッカー経験」が堪能できる。</p>

<p>そういう意味では、巨大スタジアムで見るサッカー以上に好きなのは、学校の校庭で見るサッカーや、Jビレッジの芝生で見るユースのサッカーだったりする。<br />
観客の熱さと、子供たちの真剣さが、ぐいぐいと見るものを引き込んでいく。サッカー経験としては、極上の域に達する。</p>

<p>その日も、早慶の素晴らしい攻防(1-0で慶應の勝利）を見た後に、ふと帰り道の学校の校庭で行われている子供たちのサッカーに足をとめてしまった。<br />
小学校の6年生ぐらいの試合だろうが、観客席の親たちも一緒になって、熱気のある試合を展開していた。一人の選手がドリブルで持ち込み、二人を交わしたが、ペナルティエリア直前でボールを失い、がっくりと肩を落としている。もちろん、彼には落ち込んでいる暇はなく、すぐに奪われたボールの行方を追って走りはじめる。</p>

<p>冒頭に紹介した言葉は、強烈な印象が残った俳優の大杉漣の言葉だ。もう5-6年前に耳にした言葉だが、そのときは「ああ、この人、そんなにサッカーが好きなのか」と感心し、自分のようなにわかサッカーファンには、到底知りえない領域に、大杉漣はいるのだな、と、自分には、すごく遠い言葉として聞いていた。</p>

<p>それが今、こうして大学サッカーに足を運び、帰り道の校庭の少年サッカーに足を止めている。<br />
おそらく、サッカーのレベルは、遠く日本代表や世界のレベルにはおよびもしないのだろう。しかし、至近距離で見れる攻防は、チームのネームバリューとは関係なしに面白い。</p>

<p>ふと気がつけば、今なら大杉漣の言葉をそのまま僕が口にしても、不思議ではない。最近の日本代表の試合に、恋愛終盤期のような複雑な感情を持つ一方で、サッカー自体への思いは深まるばかりだ。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2009/11/post_172.html?rss</link>
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<category>日本のサッカー</category>
<pubDate>Thu, 26 Nov 2009 11:55:34 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>平山相太を平山相太として評価したい</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「サッカーを仕事だと、それで生活していくんだという気持ちが持てるようになった」</strong><br />
2009年11月3日　サンケイスポーツの平山相太のコメント</blockquote>

<p>ナビスコ杯決勝、国立競技場でMVPが発表されるとき、僕の頭に浮かんだのは平山だった。今日の戦いに、はたしてMVPが必要なのか、と思う疑問の方が強かったが、瞬間的に浮かんだのは平山の名前だった。米本が選ばれると、そりゃそうだ、と思い直したが、平山の貢献度は期待に反して大きかった。</p>

<p>平山のプレーの質は90分を通して高かった。平山は、チームの中で、自分のできることを、実直に、的確に行っていた。<br />
エアポケットのようなスペースにボールを置いた米本のミドルにつながるプレイや、2点目の鈴木に追いつこうとする長い走りが印象に残るが、それ以外の守備の貢献度も高かった。この場面でそこを抑えてくれると、チームは助かるだろうな、という動きをしていた。</p>

<p>それは今野にしても、梶山にしても、同じだった。全員がチームのために効果的な動きをする。米本の1点が入ってからチームに迷いがなくなった。攻められながらも、自信をもって、チームプレイを実行できた点で、FC東京は優勝にふさわさしいチームだった。<br />
誰も突出はしていなかった。本来フィールドでは、必要以上に目立つ平山でさえ、あくまでチームの一員として輝いていた。</p>

<p>話はそれるが、僕の相方は平山が嫌いだ。どのくらい嫌いか、と言うと、僕が平山の名前を出すと、その場の空気が悪くなり、僕自身に危険が迫るぐらいの感じだ。<br />
そういうわけで、僕は、安全第一で、平山の名前は家では出さないようにしている。<br />
人が嫌いになると、その印象を変えることは難しい。特に僕の家における、平山の評価は回復が不可能な状況だ。</p>

<p>ナビスコが終わって考えたのは、平山はずっと何かしらレッテルが貼られてきたプレイヤーだった。まずは「怪物」とか｢大型フォワード」というレッテルが、平山をひときわ目立つ存在に押し上げた。<br />
その後は、Jリーグや海外からのオファーも断って、筑波大学に進むという「賢い選択をする大物」になる。そして、オランダに飛んだ直後は、チーム最多得点を記録し、いよいよ大型フォワードの覚醒を予感させた。</p>

<p>その後、東京に戻ってからは、バッシングといじられキャラの坂を勢いよく下っていくが、そこでも、与えられたレッテルに、うまくはまりきれずに、中途半端な印象の方が際立っていた。</p>

<p>思えば、平山はずっと目立ち、そしてズレていたのだと思う。いつも周りの期待からズレ、チームの中でも、一人特別な存在であり続けた。平山のよいプレイは、ときどきあったのだが、レッテルから比べた時の「がっかり」させる印象の方が際立ってしまっていた。<br />
豪快なゴールを期待しながら、がっかりさせる、その連続が積み重なっていった。<br />
僕の相方が平山を嫌う理由は山のようにありそうだが、あるべき平山像との大きなズレも、その一因だったことだろう。</p>

<p>平山に対する周囲の期待が自然消滅し、レッテルが不要になりはじめた最近になって、平山は変わりはじめた。一説には巨人の小笠原のテレビ番組がきっかけだ、ということだが、やはり平山にとって何よりもタイミングが重要だったように思う。</p>

<p>ナビスコの決勝で見た平山は、チームの一員だった。何よりもそのことが印象的だった。<br />
梶山が効果的な戻りを見せたのと同じように、平山も守備のために走り、今野がチームに落ちつきを与えたように、平山もチームのリズムの中にいた。そして、ひとたびチャンスになれば、鈴木の足に追いつこうと長い距離を走りぬけた。<br />
一対一のドリブルが中途半端に終わるのは相変わらずだが、それはもう「大きなズレ」には見えなかった。</p>

<blockquote><strong>「長い90分間でした。相手の攻撃力がすごいので、前線から守備をして、そこからいい形で攻撃をすることができればと思っていました。（前半は）攻め急いでしまっていたので、もう少し時間を作れればと思っていた。（鈴木）達也くんはスピードがあるので、早くそのラインに追いつけるようにと走りました。」</strong><br />
ナビスコ決勝後の平山のコメント</blockquote>

<p>平山は平山だった。怪物でもなんでもなく、そして彼はよいプレイをした。<br />
僕は、彼が代表に選出されるとか、海外に呼ばれるとか、森本と比べて反転のスピードがどうとか、そういうことはよくわからない。</p>

<p>ただ、平山にがっかりしたままでいるとしたら、一旦その色眼鏡をはずして、もう一度、一から彼を見なおしてみてもよいのではないか、とそう思う。<br />
今この時点の平山相太は、平山相太として、間違いなく、よいプレイをしている。</p>

<p>今回、平山がMVPを受賞しなかったのは、よかっただろうと思っている。また、「復活」とか「森本との代表争い」とか、レッテルが貼られるよりもよかった。<br />
平山はまだ満足はしていない。これからも努力を積み重ねて、前に進む道には乗っている。突出したプレイヤーになるよりも、長く続くプレイヤーになる可能性が見えてきたように思う。</p>

<p>僕はナビスコ決勝の翌朝、相方の前で慎重に平山の名前を出してみた。「昨日の国立で、平山がよかったよ」とさりげなく言ってみた。<br />
しかし、そのささやかな試みは、見事に失敗した。彼女から激しい攻撃を受け、僕はよけるのが精いっぱいだった。</p>

<p>少なくとも、僕の家では、まだしばらくは、その名前を言えない。まだ引き続き、平山には努力が必要だ、ということらしい。</p>]]></description>
<link>http://www.ouchi.com/archives/2009/11/post_171.html?rss</link>
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<category>日本のサッカー選手</category>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 12:19:29 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>グアルディオラ　ペップの二年目</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「なぜなら、サッカーとはそういうものだからです。いろいろな事情があろうとなかろうと、最後にはいいサッカーをした者が勝つ」</strong><br />
スカイパーフェクTV!「for football インタビュー」（2003年3月　片野道郎氏がウェブ上に掲載）</blockquote>

<p>グアルディオラのように、しょっぱなから最高ともいえる栄光を手にした監督は、2年目が、かなり大変じゃないだろうか？　<br />
栄光の翌年も、モーチベーションを失わず、チームをさらに先に進めるのは、とても難しいことだ、と聞いたことがある。</p>

<p>優勝、もしくは優勝に絡んだチームが、次の瞬間、監督の解任騒動になっていることは、サッカーでよく見かける風景だ。<br />
メディアの無責任な批判、オーナーの介入、わがまなな選手のふるまい。そういったものが一斉に監督に向って降ってきて、チーム全体が背を向けたように見えてしまう。</p>

<p>グアルディオラが、同じような穴に落ち込むのだろうか？<br />
まあ、いらぬ心配なのだが、、、このシーズンオフ、僕はなんとなくグアルディオラ監督のことを考えながら、過ごした感じだ。</p>

<p>グアルディオラについて、とりわけ印象的なのは、ゲーム中に、ライン際で目を見開いて、手を大きく振り回しているその姿だ。細身の薄い体にスーツを着て、少し神経質で、とても早口でしゃべっているように見える。</p>

<p>あの姿、みんなはどう思うのだろう？<br />
もし、バルセロナの名監督という事前の刷り込みがなければ、とてもスポーツの世界の人とは思わないかもしれない。神経質で口うるさい、顔の濃いおにいさんにしか見えないのではないだろうか？</p>

<p>でも、そうではないようだ。<br />
「私、あのタイプ、相当好きです」とサッカーをあまり知らない知人の女性にそう言われて、ちょっとびっくりした。<br />
どのくらい好きなのかというと、「思わず画像をデスクトップに保存してしまうくらい」だという。「グアルディオラが？」僕はそう思わず聞き返したくなった。</p>

<p>顔がいいのか？　<br />
決して、顔が悪いわけではないだろうが、もっとセクシーなサッカー選手はいるはずだ。驚いたことに、彼女は、ペップの醸し出す信念と知性と誠実さに惹かれたらしい。ウェブの画像や動画を通してさえも、そんなものが伝わるのだろうか？</p>

<p>確かにペップは、彼女が感じたように、信念と知性と誠実さの人だ。<br />
2001年セリエAのブレシアで、禁止薬物の陽性反応が出てから、彼は自分の無実を証明するため、何年にもわたる長い長い裁判を戦ってきて、今でもそれは終わっていないようだ。<br />
（2007年に一度、無実の判決が出たのに、最近またイタリアの裁判所は上訴したというニュースがあった）</p>

<p>そんな、悪い事態の中でも、グアルディオラの発言というのは、落ち着いていて、信念と誠実さと知性が、感じられる。</p>

<blockquote><strong>「人生にはこういうことが起こるものだ。今回はたまたま私に当たり、精一杯うまく生きていこうと思った。復習したいとは思わないけど、私のケースが役立ってほしいとは思う。スポーツ裁判所は、世界に向かって有罪を発表する前にもっと慎重であってほしい」</strong><br />
（footballista #052　グアルディオラ　ドーピング疑惑との戦いに6年越しの勝利）</blockquote>

<blockquote><strong>「これからは、ドーピング検査にひっかかった選手を調べる際、今よりももっともっと根本的な調査が必要だ。それは、検査によって見つかった物質が、その選手にとっていったいどのような意味があるのか。科学的な手段によるその物質の検査が絶対必要なんだよ」</strong><br />
（4か月の出場停止処分が下った際のグアルディオラの記者会見より）</blockquote>

<p>グアルディオラのインタビューは、多くない。日本語と英語のものを探すのは骨が折れる。それでも、ようやく見つけた言葉の端々に、グアルディオラが他の誰とも違う人間だ、ということが伝わってくる。</p>

<p>ペップは、どんな裁判関係者よりも、ずっと科学的な知識を得て、薬物に関するその知識は、医者のレベルになっていたようだ。そうやって得た知識を、しかも、どのように役立てるべきかも、彼はよく心得ているように見える。<br />
そして誠実さ。自分が苦しいにも関わらず、他人のせいにしたり、誰か特定の人物を責めることもなく、本当に正しいことが何かを誠実に伝えようとする。</p>

<p>サッカーの言葉を探しても、その印象は変わらない。選手や周囲のスタッフ、相手チームをレスペクトし、誠実で、そしてぶれない基本にいつもしっかりと両足で立っている。規律に厳しく、手を抜くことをとことん嫌う。</p>

<blockquote><strong>「しばしば楽しむという言葉は誤解されやすい。努力と規律に励むことも、それは楽しいことなんだということを忘れてはいけない」</strong><br />
（footballista #056　ジョゼップ・グアルディオラ　インタビュー）</blockquote>

<blockquote><strong>「特別な方法なんてないよ。いい選手がいる、それが全ての鍵だ。彼らがいなければ、決勝にはいなかった。選手たちが、チームそのものなんだ。僕はただ修正をしただけだ。よいものを残し、悪いものは排除しただけだ。」</strong><br />
uefa.com 2009年5月27日 チャンピオンズリーグ決勝前日の記者会見</blockquote>

<blockquote><strong>「シーズンを通した順位表は絶対に嘘をつきません。ぼくはバルサで6回優勝している。その6回とも、ぼくたちは他のどのチームよりもいいサッカーをした。そうじゃない年には優勝できなかった。
なぜなら、サッカーとはそういうものだからです。いろいろな事情があろうとなかろうと、最後にはいいサッカーをした者が勝つ」</strong></blockquote>

<p>ペップは別格だ。僕はシーズンオフに、彼の発言を読みながら、そう信じることができるようになった。スペインリーグが開幕した。長いシーズンは多くの課題やトラップが待っているだろう。それでも、グアルディオラのもとで、二年目以降も栄光を刻むことができるだろう。<br />
かなり心配だったイブラヒモビッチのユニフォームも、思ったよりも似合っている。</p>]]></description>
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<category>サッカー監督</category>
<pubDate>Wed, 02 Sep 2009 11:53:37 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>ポール・スコールズ　静かに唸って観るのが正しい</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>「ピッチの上でも、いいプレーをした時やゴールを決めた時には『困ったな。これで試合後にインタビューを受けなきゃならない』なんて思ってしまうんだ」</strong><br />
ポール・スコールズ　プレミアシップマガジン　2004年3月号インタビュー</blockquote>

<p>プレミアが開幕して、僕の中でうれしかったのは、マンチェスターユナイテッドの中央にスコールズが立っていたことだ。スタメンを見た時、「ああ、スコールズだ」と思って、少し幸せな気分になった。</p>

<p>開幕戦のオールドトラフォード、チームはぱっとしなかったが、観客は、スコールズの何気ないプレイに、静かな拍手を送っていた。その静かなさざ波のような拍手が、また僕を幸せな気分にした。</p>

<p>それはたとえば、こんな場面だ。<br />
スコールズがサイドにパスを出す。サイドに敵が寄せられて、中央に大きなスペースがある、そこを見逃さずに、スコールズは素早く前に進み、中央でフリーになってパスを受ける。パスを受けた、その瞬間にスタジアムに、静かな拍手がさざ波のように起こる。</p>

<p>プレミアの観客の拍手には、いつも唸ってしまうが、こういうスペースをうまく使って、プレッシャーのない場面を作ると、拍手がやってくる。スコールズへパスを出した選手への賛辞もあるだろうが、この場面は少し特別な気がした。</p>

<p>迫真のプレイとか、激しいぶつかりあいとか、ひたむきな走り、とかそういう素人目にわかりやすいエネルギーが出ていたわけではない。しかし、確かにそのスコールズの動きは、チーム全体を、攻撃に向けて押し上げる役目を果たしている。</p>

<p>もちろん、そのプレーがよかったのだが、多分、スコールズを開幕試合で見れて、彼に対する尊敬や感謝の気持ちが、かなりその拍手の行間に混じっていたように思う。<br />
しかし、それにしても、ここで、この拍手か・・・</p>

<p>サラサラヘアーのベッカムが全盛だった時代、スコールズは僕にとって「ズドン」の人だった。「出た。スコールズのサンダーボルトがまた炸裂した」なんて、プレミアのアナウンサーが叫ぶようなミドルシュートだ。<br />
ただ、そのころの僕にとって、スコールズは、今ほど重要な存在ではなかった。僕が最初にミドルシュートを意識したのは、スコールズがきっかけだったが、正直言えば、それ以上の存在ではなかった。</p>

<p>本当の意味で僕が、彼を好きになり、彼のプレイに唸り始めたのは、大分最近になってからだ。スコールズが、原因不明の視力低下で長く戦線を離脱し、復帰したその後からだ。その後も、膝の怪我も抱え、まだ痛みを残したままプレイをしているようだ。</p>

<p>彼がシュート体勢に入ると、今でも「ズドン」という音が僕の頭で鳴る（いや、実際に声に出している）。ただ、残念ながら昔のように、ミドルシュートは炸裂しない。<br />
今シーズンの開幕2試合のプレイを見ても、正直スコールズからゴールの匂いは消えている。</p>

<p>「ズドン」がなくなった代わりに、見えてきたのが、そのリズムの作り方だ。正確なボールタッチ、何気ない感じで出す正確なパス、ルーニーと見せるパス交換からゴールを作りだす流れ、そういったプレイだ。</p>

<p>おそらくサッカーをよく知る人にとっては、何をいまさら、という感じなのだろう。<br />
僕が信頼するサッカー通も、スコールズのプレイになると、「むむ」とか「うーん」とか、ポジティブな木村和司のような唸り声をあげて、唸ってみている。しかし、唸るばかりで、説明がない。どうも彼の唸り声から察するに、「すげーなそのパス」とか「たまらんなその間の取り方」という感じらしい。</p>

<p>改めて、スコールズについて調べてみると、とにかくあらゆるトッププレイヤーが彼を称賛している。ファーガソンが、スコールズはマンチェスターユナイテッドの歴代のベストイレブンに入る、と称賛しているのを筆頭に、ジョージベスト、クライフ、ジダン、ビエラと、数え始めたらきりがないほめ言葉がスコールズを包んでいる。欧州一とか世界一とか、一番尊敬しているとか、そのほめ方も突き抜けている。とても社交辞令とは思えない感じだ。</p>

<p>確かにゴールの匂いは薄れ、運動量も少なくなった。スライディングのディフェンスも、雑になった面もある。それでも、彼の動き、トラップ、パス、間の取り方を見ていると、余計なものがそぎ落とされた無駄のない感じが、じわじわと凄みを増してせまってくる。<br />
なんというか、僕の文章力では、何とも説明が不能で、言葉で説明するのはひどく野暮な感じだ。結局、僕も「うーん」とか「むむ」とか、木村和司になって、唸りながら、彼のプレイに目を奪われている。</p>

<p>スコールズは寡黙でマスコミ嫌いで有名だ。ナイキと交わした契約書には、「僕は人前には出ないからね」という断り書きが入っている、という話もあり、ゴールを決めるたびに「困ったな。これで試合後にインタビューを受けなきゃならない」と思うらしい。<br />
だから、というわけではないが、彼のプレイは、唸りながら見るのが似合っている。</p>

<p>スコールズを見ることができる時間は、残り少なくなっているのだろう。今シーズン、一試合一試合が貴重な時間だ。できるだけスコールズのプレイに唸る数が多くなることを祈りたい。もちろん、ズドンのミドルも待っている。</p>

<p>いまさらながら、プレミアのスタジアムで、静かな拍手を贈る人々が、僕にはとてもうらやましい。</p>]]></description>
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<category>海外のサッカー選手</category>
<pubDate>Thu, 27 Aug 2009 11:37:47 +0900</pubDate>
</item>

<item>
<title>アブラモビッチの願いを砕いたイニエスタのゴール</title>
<description><![CDATA[<blockquote><strong>あのシュート、あのボールに、僕のすべての心と魂をこめた。まさにここしかない、という場所にゴールは決まった。</strong><br />
ロスタイムにゴールを決めたイニエスタの試合後のコメント</blockquote>

<p>怒られることをあえて承知で言うが、今のチェルシーは、ある意味で最高のチームだ。昨シーズン、グラント監督のもとで、チャンピオンズリーグの決勝まで進んだ時にも思ったが、このチームの選手たちの意識のレベルは半端ではない。</p>

<p>このチャンピオンズリーグの準決勝で見せた90分の守備の城壁は、おそらく、もうしばらく見ることのできない高いレベルのものだった。<br />
これだけの守備網は、選手たちのとんでもなく高い意識がなければできないのではないか、とそう思った。</p>

<p>ランパードやエッシェンが、後半の後半で攻撃に精彩を欠いているように見えたのも、自分を犠牲にして90分間守備に徹する、そのことがいかに過酷なことかを証明しているように思える。</p>

<p>バラックが、ゲーム中、完全に消えていたのも、彼がバルセロナのパスコースを消すために集中した時間の濃密さをもの語っている。<br />
その徹底した自己犠牲に見合う結果が得られなかったのだから、バラックが審判に怒りをぶつけるのも、ある意味無理からぬことかもしれない。</p>

<p>そして、最後のテリーの呆然とした表情。<br />
僕は、この男のこの試合後の顔を、一生忘れることはないだろう。<br />
この守備を支え続けたテリーは、試合が終わったあと、バルセロナのロッカールームに行って、選手たちを祝福したという。</p>

<p>今回もヒディンクは選手たちに簡単な指示しか与えていないのではないか？<br />
アウェーゴールは致命傷だ。安易に飛びこむな、縦を切れ、バランスを崩さずに、常に2人以上でフォローし、パスコースを徹底的に消すんだ。</p>

<p>このクラスの守備で、おそらく「こういう場面になったら、こうしなさい」という問題集を解くような、お勉強的なパターン練習は、意味がないような気がする。<br />
最高クラスの選手たちだから、簡単な指示で最高の守備が築けるし、彼らが納得ずくで自己犠牲を払えば、これだけの堅牢な城壁になるのだ。</p>

<p>この日のスタンフォードブリッジは、観客もボールボーイも、最高の選手たちが犠牲を積み上げていくヒディンクの戦術に、ある意味納得し、協力していたように思えてならない。<br />
それはまったく普通ならありえないことだ。</p>

<p>バルセロナの監督のペップ（グアルディオラ）にしても、このクラスの選手たちが、ここまで徹底した守備を見せ続けることに、ある意味、恐ろしさのようなものを感じたことだろう。<br />
プジョル、マルケス、アンリ（最近輝きが戻りつつある）を欠いた、10人のバルサに対して、ここまでやるとは。</p>

<p>試合の終盤、ペップが、ヒディンクに何かを話しかけていた。その言葉が何かを知るよしもないが（何語で話してたのかな？）、「皮肉を込めた驚きの称賛」を伝えていた、と勝手に想像している。</p>

<p>僕は、このゲームを通しで3回見たが、結果がわかっていても、イニエスタのゴールには、そのたびに震えた。これだけの守備が築き上げられながら、ロスタイムの最後であのゴールだ。積み重なったものがあるから、あのゴールが恐ろしい迫力を持つ。<br />
多分、まだ何回も見返すだろうし、この先、このイニエスタのゴールとそのコースを、折にふれて思い出すことだろう。</p>

<p>なんだか、まるで昔話の結末を見ているようだった。<br />
チェルシーの完璧な守備の城壁は、アブラモビッチという男の個人資産の上に築かれている。前妻に1兆3,500億円の慰謝料を支払い、バルセロナのポーカーで5000万円を失ったと報じられる（広報サイドは否定）この男の願いは、「村の正直もの」といった風合いのイニエスタによって、最後の最後で無残にも砕かれてしまった。</p>

<p>これだけの投資をしても、手に入らないものがあるなんて、まさか、思いもしてなかったんじゃないだろうか？<br />
この先、どれだけお金を使えば、イニエスタのゴールが手に入るのか？<br />
「サッカー」がとんでもないものだ、ということを、改めて思い知ったのではないだろうか？</p>

<p>アブラモビッチは、まだ続けるつもりだろうか？<br />
まったく投資に見合わないとあきらめてチェルシーを売却するのか、余計にのめり込み、変わらずにヨーロッパでの勝利を追求するのか？</p>

<p>続けるとして、ヒディンクの次のチェルシーの監督はいったい誰にしたらいいの？<br />
リッピ？　ファーガソン（無理無理）？　ベニテス？　ベンゲル？　それともモウリーニョにもう一回頭を下げて頼む（意外に現実的かもよ）？　まさかここでゾラ...</p>

<p>余計なお世話だが、アブラモビッチの立場にたって考えると、悩みは深い。<br />
他のものは手に入っても、サッカーの栄光だけは手にできないかもしれない。<br />
でもね、アブラモビッチ君、フォーブスのお金持ちランキングがいくら下がろうとも、サッカーはきっと君の財産をかけるだけの、価値があると思うぞ。</p>]]></description>
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<category>海外のサッカー</category>
<pubDate>Tue, 12 May 2009 12:06:05 +0900</pubDate>
</item>


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