いったい誰の日本代表か? その1 発注者の問題

「トルシエジャパンとかジーコジャパンとか、今度はオシムジャパンとか、いったいジャパンは誰の持ち物だって言うんだ!」都内の飲み屋で愚痴を言っていた人の言葉。
少し離れた席で聞いていて僕は「なるほど」とうなずく。

すべては僕たち発注者の問題だ
ジーコの日本代表がなんだったのか考えなければいけない、とそう思いながら時間が過ぎた。その間に中田の引退があり、オシムの就任があり、次の代表が選出されるのを待つだけになった。ジーコや選手や、協会のことを悪く言うのも、なんだか疲れる。
「まあ、オシムならいいや」という気分だが、本当にそうだろうか?
ドラえもんがあらわれて、一度だけタイムマシンを使ってもいいよ、といわれたら、そして、誰か別の人に変われる道具を四次元ポケットから出してくれるなら、あなたなら、何をしますか?
僕は協会のスタッフになり、「日本サッカー協会がジーコと最初の交渉に入る準備」に参加したいと思う。
そこで、僕はジーコに代表監督を頼む際の「日本サッカー協会の条件」というのを、他のスタッフと一緒に徹夜でまとめるだろう。
そしてもう一つ、「日本代表のサッカー」というプレゼンを、これもできるだけ短くまとめるだろう。
徹夜で必死でまとめた交渉資料を、川淵さん、田嶋さんに渡して、後は床に倒れこむ。ドラえもんが、こっそりもとの時間のもとの部屋に、僕をもどしてくれる。
まずは条件だ。報酬とか、いろいろあるかもしれないが、僕がどうしても盛り込みたい条件は、二つだけだ。
一つ目は、「日本のサッカーを次につなげるため、協会が指定する1人のアシスタントコーチを入れる」という条件だ。
二つ目は、「二年目で分析評価を行い、日本サッカー協会は改善提案を行う。改善提案は日本のサッカーファンと公開共有する」という条件だ。提案は公開できればよい。強制的なものではなく、ジーコに拒否権はある。
もう一つの資料は、日本のサッカーをこう考える、というプレゼン資料だ。これは、たたき台を作って、そこにジーコのアドバイスを入れる。そして、できあがったものを、内外に向けて公開する。でも、これはとても大変そうだ。ひょっとすると、その時点では、全然、まとまらなかったかもしれない。
僕がこだわっているのは「公開と共有」だ。「どこでもドア」で戻った後も、僕らが議論に参加できることが大事な点だ。
優秀でない監督を罰するための条件は一つもいらない。
優秀だと思うからまかせるのであって、ジーコの力を最大限発揮するため、日本全体で助ける場を作ることが大事なポイントだ。
短くわかりやすくまとめたものを公開する。その威力は、たいしたことがないように見えるかもしれない。
しかし、この方法は想像以上に効果がある。
渦の中にいると、どんなにわかっているつもりでも、皆自分の位置を見失ってしまう。そのとき、誰かが自分のいる場所を、示してくれるだけで、途端に議論が活性化し、前向きに進むことができる。
それは、ジーコも、選手たちも、協会も、僕らも同じだ。
発注者である協会と、僕ら日本代表を応援する人間たちが、共通の土台の上で、真剣になること、それがとても大事なポイントだ。
今回、ほぼ、ジーコに100%おまかせのようになり、日本サッカー協会は途中で有効な手を打てなった。
途中で一度、川淵さんが日本人コーチを入れるようジーコに進言した場面があった(2004年2月27日)。ジーコはこれを丁重に拒否したが、あの時点なら、ジーコが断ったのは当然だ。
今振り返ると、あの時が大きな分岐点に見えるが、むしろ、その交渉は、最初に行われているべきことだったのだ。
最初が肝心。
あのポイントからは、すべてが結果オーライで進み、最後は「何とかなる」というビートルズの歌詞のままに、悲しい結末へと入っていった。
とても似ている。
システムプロジェクトや、インターネットのプロジェクトの多くが失敗する場面を、僕は山のように見てきた。
失敗すると、当然だが、請け負ったシステム会社や現場のエンジニアが、悪者になる。悪い家が建ったのは、建築家や大工のせいだ、という話になる。
今も、ジーコと選手たちが、悪者になりはじめている。
でも、僕の考えではそうではない。
その失敗の原因は、メーカーのせいでも、エンジニアのせいでもなかった。その多くは、発注者の質と責任の問題だ。
今回、発注者は直接的には「日本サッカー協会」だとしても、むしろ、僕たちを含めた日本サッカー全体、だと考えるべきだろう。
だから「公開と共有」を僕はドラえもんの手を借りて盛り込みたい。
お金を払て、いい建築家に丸投げすれば、いい家が建つ、と思うのは間違いだ。どういう家を建てたいか、途中でどう確認するか、その点を、発注者は真剣に建築家と議論する必要がある。
依頼する側が、依頼する立場としての真剣さとプロ意識がなければ、受注した側は、かえって力を発揮できない。
振り返ってみても、ジーコの発言は間違っていない。
「選手が自主的に判断するサッカー」という基本理念は、ワールドカップが終わった、今、この時期でもまったく賛成だ。
「最後の1秒まで戦いをあきらめない」「世界を相手にしても堂々と戦う」「シュートの前に落ち着いて確実に決める」どれをとっても、色あせていない。
選手の責任も僕は、言うほど大きくないと思っている。何度ビデオを見直しても、場面場面で、彼らが真剣さがなかったとは思えない。いくつかの狂った歯車が直っていれば、彼らは格段に力を発揮できたはずだ。
中田と宮本は真剣に議論をしたかもしれない。しかし、それは彼らが選ばれることが確実だったからだ。自分が選ばれないかもしれない、という立場の人間に、どれほどの力が発揮できるだろう?
だから、アシスタントコーチの存在は、とても大事だった。
恐らく、そのアシスタントコーチは、ジーコを支える、あるいはジーコのほころびを補修する、クリエイティブな解決策を模索しただろう。もし、それがあれば、今回は、多くの間違いが未然に防げたと思える。
さて、発注者の僕らは、今回どうだろう?
オシムなら大丈夫、というトーンでメディアも、協会も、そして僕たちもことを進めている。
協会も含めて、僕らは発注者としてプロの責任を果たさなければならない。それが、プロの監督と選手を迎える義務だ。
次回は、日本のサッカー、自分たちのサッカーを考えてみたい。

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コメント

  1. 稲葉 より:

    始めてこのコラムを拝見しました。とても適切で分かりやすいです。ジーコ監督のことは私もサッカー協会の問題だと思います。野球の王監督と比較して考えてると、王さんが最初に監督をした時とダブります。巨人でもダイエーでも結果が出せなくて滅茶苦茶たたかれていて、その経験から素晴らしい監督になっていったし、ジーコさんは予選突破しているし、負けず嫌いの性格もあるだろうし、と言われている事が残念です。この前テレビで放送されていましたが、最初に日本に来てくれた、愛情を注いでくれた事を感謝したいです。その意味でオシムさんが二の舞にならないように応援していきたいです。

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