サッカーの言葉

海外のサッカー選手

ディルク・カイト 今シーズンもっとも幸せな選手

「父は僕が5歳のころからサッカーをずっと見てくれていた。今シーズンも父が見守ってくれることが、僕にはとてもうれしい」
ディルク・カイト デイリーメール紙のインタビュー 2007年5月19日
ヨーロッパの今シーズンを振り返って、一番印象に残る選手は誰ですか? メッシ、ビジャ、カカ、ロナウド、ルーニー、ドログバ、それに終盤になってやたらに力を発揮してきたベッカムなんていうのもあるかもしれない。 僕は今シーズンを通して、リバプールのカイトという選手をずっと見ることになった。・・・・・
海外のサッカー選手

アンリとベンゲルが辿り着く場所

ベンゲルだけが僕の成功を信じていた。だから僕の成功は全てベンゲルの功績だよ
アンリ ベスト100ゴール(DVD)のコメントより
ヨーロッパのサッカーシーズンが終わろうとしている。少し気が早いのだろうが、移籍の話題が活発にメディアを賑わす季節がやってくる。 今年の移籍の話題は(というか、今年もと言ったほうがよいのだろうが)、フェルナンド・トーレスとエトー、そしてティエリ・アンリの3大移籍話だろうか。・・・・・
海外のサッカー選手

マルディーニ 日本でまた彼を見られるか

18歳で左サイドに抜擢されてから、マルディーニは来る日も来る日も、左足の技術と左サイドバックとしての身のこなしを身につけ、磨きをかけるために、早出、居残りの個人練習を欠かさなかったという
エルゴラッソ 2005年10月7日号「CALCIOおもてうら」より
生のマルディーニを見たのは、2003年のトヨタカップのときだ。その時のACミランは、ボカに負けてしまうわけで、それほどよい試合ではなかったように記憶している。 互いに探りあいをしながら、時差ぼけの感覚を補正しつつペースを上げていくような試合だった。・・・・・
サッカー監督

ベニテスとモウリーニョ 縦か横か?

勉強のためにイタリア、イングランド、ブラジルを回った。ファビオカッペロのようなコーチにもたくさん質問をした。わからなければ、答えを捜し求めるんだ
英国リーグ監督協会 ベニテスへのインタビュー2005年10月5日
UEFAチャンピオンズリーグの準決勝、ベニテスとモウリーニョの戦いは、ベニテスが勝利した。勝利といっても、これがまた実にベニテスらしい勝ち方だ。2試合の合計は1-1の引き分け。そしてPKで決着がついた....
海外のサッカー選手

ブッフォン チームを見守るゴールキーパーの声

ミスをしないために必要なのは集中力。ゴールキーパーは90分間の大半をゲームの流れから切り離され、いわば「観客」として展開を見守ることに費やします。
エルメス・フルゴーニ ブッフォンを育てたゴールキーパーコーチの言葉 ワールドサッカーダイジェスト 2007年5月3日号
「ゴールキーパーを子どもに持った親の気持ちってどんなですか?」 それは僕が彼に一度聞いてみたかった質問だ。 その人は尊敬するビジネスマンだが、時々二人でユースのサッカーについて話す。彼の子どもは、高校でも真剣にサッカーを続けている。ポジションはゴールキーパー・・・・・
日本のサッカー

ジダンの頭突きとアジアを闘う僕らの距離

(フランスの連中は)コスモポリタンを気取りつつ、4年に一度、振り子は大きくナショナリストに振れる。(中略)それにしても僕たち日本人はどんな振り子を持っているのだろうか?
武智幸徳「サッカーという至福」日本経済新聞社
フランス代表がドイツワールドカップで決勝進出を決めた夜、パリはちょっとした騒ぎだったと言う。サッカーにまったく興味のない僕の親友が、たまたまその夜タクシーでシャンゼリゼを通っていた・・・・・
日本のサッカー選手

遠藤保仁と中村と中村 3つの捨てがたいリズム

「僕自身ボールに触ってリズムを作っていくのが仕事だと思うので」
遠藤保仁 ナンバー675 2007年4月15日号
日産スタジアムに座って、本当に久々の日本代表戦を見た。3月24日、キリンカップ 日本代表対ペルー代表。 「久々の日本代表?」  いや本当はそうではない。関東で行われる日本代表戦には欠かさず行っている。 「久々」と感じたのは、日本代表を待つ胸の高鳴りの方だった。 10番をつけた俊輔がもうすぐピッチに立つ、それも青いユニフォームを着て・・・・・.
日本のサッカー

サッカーシューズをめぐる言葉

馴染ませたというのは文字通りで、市販の歯型スタッドを一つずつヤスリで削って丸くしたものを履かせて、そこから何十回と段階を経て歯型までいきました
週刊サッカーダイジェスト 2007年2月6日号 森下尚紀 アディダスジャパン株式会社
きっかけは知人のサッカーショップの店員の話だった。 彼はお店の研修の一環として、サッカーシューズの工場を見学した。その時の話をしてくれた。 有名ブランドの工場だから、さぞや大きい建物だろうと思いきや、背の低い小さな建物だったらしい・・・
日本のサッカー

女子サッカー 負けず嫌いの彼女たちへ

子供の頃、私は負けるのがすごく嫌で、何度もゲームの途中で辞めようと思ったことがある。きっとゲームが終わる前に、辞めちゃえば負けにならなくて済むと思ったのでしょう
ミアハム EUROSPORT Interview 1996より
3月7日、春の暖かい国立競技場で、女子代表のサッカーを見ていた。ワールドカップの出場権を争う大事なプレーオフだ。 見た目には、もう少し入っているように見えたが観客は1万人・・・・・
日本のサッカー

レフェリーの話 一緒になった空気を共有したい

見ている人もやっている人も僕自身も、本当にゲームに集中していければ面白いですよね。一緒になった空気を共有できれば
上川徹の言葉 NHKにんげんドキュメント(2006年5月26日)
もう3年前の話になるが、当時小学校6年生で、地域の選抜に選ばれたサッカー少年に聞いた話だ。その地域選抜の試合は、特に重要というわけではなかったが、恐らく協会の主催だったからだろう、主審として岡田正義氏が笛を吹いたという。 「あれ、岡田さんだ」と少年は思いながら試合に入り、そしてちょっと不思議な感じを味わったというのだ。
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