長谷川健太の実感

やはりリスクを負って攻めるところは攻めなければ、勝利というのは得られないと思う。清水エスパルス vs ジェフ千葉 (4月23日土 J1 第7節) 長谷川健太監督 初勝利の記者会見コメントより

ふとこのコメントを見ていて、意地の悪い考えが浮かんだ。
ひょっとすると、健太は解説者時代、守備的な試合を批判して 「攻撃にはリスクがつきものです。リスクを恐れて攻撃はできません」 などと言っていたのではないだろうか?
外で批評をすることと、中で実行することは、ぜんぜん違う。
そのことを知った今日の日は、健太にとって、とても貴重な経験になった。
一方で、この健太の勝利は、日本サッカー界にとってもよい経験になったといえるだろうか?
この長谷川健太というまったくの新人監督は、開幕から負け続けている。
エスパルスという やさしい土壌もあるだろうが、サポーターもフロントも、当面は、暖かく彼の采配を見守る姿勢を維持するようだ。健太には、愛すべきオーラがあるのだろう。
それに、いったん監督をまかせた以上、「短い結果だけで判断して解任はしない」という姿勢は正しいと思う。
こうして、はじめての勝利を苦しみながら勝ち取った実感は、健太個人にとってマイナスにはならない。これは貴重な経験だ。
これまでテレビで、コメントしていた言葉の重さと、実際に実行をするための言葉の重さの違いを、実感することができただけでも、彼は大きく成長できたのだろう。
でも、その前にこのチームが進んだ道は間違っていなかったのだろうか・・・・?
少し首を傾げて、空を見上げてみよう。変じゃないか?
不思議なのは、彼が経験もなしにこの国のトップレベルのサッカーチームの監督になってしまうことだ。
かつて札幌は、いきなり柱谷氏に監督をまかせて降格をした。
今、仙台が都並を監督にして、負け続けている。
当たり前なのではないだろうか?
彼らは、「監督経験がない青年」でしかない。
彼らはプロフェッショナルではない。
プロでない人間に監督をさせて、うまくいかない確率のほうが高い。初めての監督にチームをまかせる。これは、明らかに賭けだ。
優秀な監督というのは、ベンゲルもファーガソンもモウリーニョもそうだが、決して名選手でないことも多い。彼らはそれなりに、経験を積んでいる。あるものは、トップチームのアシスタントコーチとして、あるものは、下位チームの監督として、実践を学ぶ課程を経て名監督になっていった。
そういった監督=選手時代が無名の名監督を日本は、創り出すことができるだろうか?
この国の野球チームがそうであるように、指導者なのに、現役時代のネームバリューを重視したがる。
どうも、日本のサッカー界は、指導者を選ぶ点において、テレビ的、野球的になっているように思う。
指導者は、指導のプロフェッショナルを選ぶ。そういった評価軸ができない限り、強いサッカーの国にはなりえないかもしれない。
長谷川健太のコメントは、健太を愛すべき人物に見せることには成功した。メディアの注目も集めた。
でも、結果的に、彼がまったくの経験のない監督であり、プロフェッショナルなどではなく、彼を選んだフロントも、まったくのプロではない、ということを、図らずも露呈しているように、私には見える。
同じ記者会見で、健太はこうも言っていた。

まだまだ情けない監督だが、選手に助けられて得た勝利だったと思う。

正直なコメントだ。
しかし、彼に正直なコメントをさせる前に、もっと別の形で指導者としての基礎を固めておくべきだったのではないだろうか? エスパルスには、もっと違う選択肢があったのではないだろうか?

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