イビチャ オシム

守るのは簡単ですよ。要は、作り上げることより崩すことは簡単なんです。家を建てるのは難しいが、崩すのは一瞬。サッカーもそうでしょう。攻撃的ないいサッカーをしようとする。それはいい家を建てようとするのと同じ意味。作り上げることは、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?サッカーダイジェスト No.783 2005年5月24日 イビチャ オシム「攻めの美学その真髄」

サッカーダイジェストの表紙にオシム監督の顔があった。仕事帰りのキオスクで、いつもは買わない、その雑誌を買い求めた。オシム監督のインタビューを、仕事帰りの電車で読みはじめた・・・・
オシムのインタビューを読み終わってふと顔を見上げると、あきらかに違った空気の中に自分は立っていた。仕事帰りの疲れた通勤電車は、国境を越える汽車になっていた。
オシムは、戦乱前のユーゴスラビアで数学を学んでいた。日本が東京オリンピックの時代の話だ。
大学を卒業した青年オシムは、数学の教授になることも、医者になることも選択できた。しかし、彼はまだプロリーグがない祖国のサッカーの道に進むことを選択した。そんな青年オシムの行動にまわりは大反対したという(そりゃそうだろう)。
その話をインタビューで読んだとき、その決断をしたときのオシムよりも、数学を学びながら、常にサッカーのことが頭を離れなかったオシムのことを考える。
広い大学の廊下を歩いているときも、大学の講堂の大きな黒板に向かって頬杖をついているときも、ふとした瞬間にオシムの中に、サッカーへの思いが膨らんでいく。
ユーゴスラビアにもプロサッカーができる。
その話を聞いたとき、自分の頭や胸の奥がそのことだけで、あっという間にうまってしまう。
彼はひどく戸惑ったに違いない。
オシムは「ゼロから作り上げる」ということに対して、止められない魅力と渇望を感じた。
理屈も設計図も未来予想図もない世界で、新しいものを作り上げる。そのことが、たまらなく自分の喉を乾かす。
結果も、その後の自分の位置も、どうなるかまったくわからないというのに。
オシムは、周りから見れば、突然に動き出す。
その後、実績を積み重ねて、十分に成功を収めた老将になっても、ある日、突然、ヨーロッパに背を向けて、飛行機に乗ってしまう。
「イビチャ、なぜ、ヨーロッパで尊敬を勝ち得ているのに、わざわざ見知らぬ日本の地方都市でサッカーをやるのだ?(それも、とりわけ予算がないチームに?)」
周りは、そんなオシムにさぞあきれたことだろう。
「攻めることは崩すこと=守ることは壊すこと」
これも、僕にとってはまったく新しい視点だった。
これだけサッカーを見ていて、そんな感覚に気がつかなかった。
そもそも、サッカーのプレイが「作り上げる」という言葉と重なることはなかった(だって、それにしては短時間で壊れすぎるじゃない?)。
確かに、そう言われれば、攻めを組み立てる側が、3匹の子豚のように見えてくる。その攻撃をファールやプレスでつぶしていく側は、子豚たちの家を吹き飛ばす狼に見えてくる。
オシムのサッカーを見ていると、その作り上げるプロセスは、どこからでも、はじまることが見て取れる。相手のボールを奪って、作り上げるプロセスに入ると、突然、みんなが狼から子豚に変わって、スペースに向かって走り始める。
ディフェンスやオフェンスというポジションに優劣はない。サッカーとは、狼と子豚が瞬時に、それもあらゆる場所で入れ替わるゲームで、要はどこで狼になって、どこで子豚になるか、ポジションとは、その位置に人を当てはめた程度に便宜的な決まりごとなのだろう。
ここに引用したのは、インタビューの最後の段落だ。
「壊すよりも、作る方がいい人生だ」
まったく同意だ。
「さて、お前はどうする?」
オシムが、あの顔で、今度は、僕の方を見て問いかけているような気がした。

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コメント

  1. ◆イビチャ・オシム氏が日本サッカー新監督?! 川淵会長の失言でみな唖然…

    サッカーW杯ドイツ大会で1次リーグ敗退の日本代表が24日午後、帰国
    選手らは硬い表情のまま足早に空港を後にした。
    そして川淵会長は思わずイビチャ・オシ…

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