デットマール・クラマーの言葉

よく16歳になったら、もう伸びないなどという声を聞くが、それは大きな間違いだ。才能があれば30歳までは成長できる。意思さえあれば、26歳まで技術を習得できる。
サッカー批評 2005 28号 海を越えたフットボーラー デットマール・クラマー

10月7日号のエルゴラッソを読んでいるときに目を見張る記事に出会った。「CALCIOおもてうら」(片野道郎)という小さなコラムが、イタリアのマルディーニを書いていた。
世界最高の左サイドバックと呼ばれるマルディーニが、本当は右利きだという話で、彼のポジションは、最初は右ウィング、次に右サイドバック、そして、最後に左サイドバックに変化していった、という話だ。実に17歳まで、右サイドのポジションが定位置だったという。
マルディーニの父親は、有名なサッカー選手であり、イタリア代表監督でもあった。そんな有名な父親を持つ、特別なエリートサッカー少年として、私の頭の中にいたマルディーニは、その記事ですっかりイメージを変えてしまった。実は、マルディーニは、目の前の高い壁を必死で乗り越えてきた人だったのだ。

「18歳で左サイドに抜擢されてから、彼は来る日も来る日も、左足の技術と左サイドバックとしての身のこなしを身につけ、磨きをかけるために、早出、居残りの個人練習を欠かさなかったという」エルゴラッソ 2005年10月7日号「CALCIOおもてうら」より

なるほど・・・18になってから努力して技術を身につけた人間がここにいたか・・・
先頭で、引用したクラマーの言葉には、「才能があれば」という但し書きがある。その才能とはいったいなんだろうか?
才能があれば、といわれると、単純にサッカーの天才少年の姿をお思い浮かべるかもしれない。しかし、「天才少年」という言葉には、「凋落」という言葉が対になる。将来を嘱望された子供の成長が止まってしまう姿の方が、典型的かもしれない。
18を過ぎて、成長する才能とはなんだろうか?
今の日本代表なら、中澤がその典型だ。
ディフェンダーとしての中澤の技術は、この数年、目を見張るスピードで成長していて、年を取るほどにうまくなっているのがわかる。中澤は、天才少年ではなかった。
中澤の高校時代にサッカー部のキャプテンだった田村淳氏のコメントというのが、先のクラマーの言葉を掲載しているサッカー批評の別のページに載っている。

「気持ちですね。負けず嫌いで絶対に諦めない。サッカーが好きで、頭もよかった」ティーンエイジ・ブルース (西部 謙司)より

天才少年というのは、技術面で語られることが多いが、若いころに高い技術や高い身体能力を手にした人間は、周りが伸びたときに、壁にあたる。そして、その壁が越えられずに、落ちていく。
そう考えてくると、「才能」の輪郭が少しづつ見えてくる。その才能とは、「壁を越える能力」のことなのだ、と。
壁を越えるためには、考え、そして工夫する力が必要だ。ゴールを見定めたら、こつこつと目標に向かって進む力が必要だ。
そして、まわりで見守るものたちは、子供たちに安易に答えを与えず、「駄目だったら、自分で工夫して乗り越える」ことを教えられればよいのではないだろうか?
「壁を作り、それを超えさせる」 場の提供というのが、子供たちに求められる。あるいは、技術が下手でも、そういった意思と才能を持っている子供を、見い出す育成、というのが求められていると思う。
その才能と、強い意志があれば、年齢に関係なく、その選手は成長の軌道をつかむことができる。

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コメント

  1. 日本サッカーの父

    80歳にしていまだ強し。 「クラマーの言葉」ゲルマンの風が吹いた一週間 汲めども汲めども尽きること無し。 【参考】デットマール・クラマー – Wikipe…

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