サッカー 中田英寿が取り組む仕事

「今後プロの選手としてピッチに立つことはないけれど、サッカーをやめることは絶対にないだろう」nakata.net 引退のメッセージ

あるパソコン雑誌で、Googleという検索エンジンの仕組みを紹介する連載を持った。そのとき、僕はGoogleの創業者や技術者たちの論文、特許の申請書類、周辺の記事を読み漁った。そういった書類と格闘しながら、検索エンジンの中味を、文章で組み立てる日々を過ごした。そんななかで、おぼろげながらGoogleの凄さがわかったような気がした。
Google?
中田英寿の話ではなかったのか? いや、そのつもりだが、混乱している気持ちを落ち着かせるため、今回は少し遠目からスルーパスを出させて欲しい・・・
Googleは、ページランクというホームページを上位に表示するアルゴリズムを持っている。魚市場のたくさんの魚から、イキのいい魚を見つけ出すような目利きの仕組みのことだ。
この目利きのプログラムがGoogleの凄さだ、ということになっている。でも、どうもそれは本当の成功の理由とは言いがたかった。もちろん、それはGoogleの「柱」の部分であったにしても、同じようなアルゴリズムを思いついている人は、そのころ世界に何人かいた。
柱は柱として確かに洗練されたものだったが、GoogleがGoogleたる由縁は、むしろ「土台=基盤」の部分だった。
技術の話をここで正確に説明するのは難しい。かなり大雑把な話になるが、Googleの土台は、一言で言えば「大量のデータを組織する仕組み」にあった。なにしろウェブサイトは山のようにある。どんなにアルゴリズムが凄くても、大量のデータを瞬時にさばける仕組みがないとGoogleは存在していない。大量のデータを格納するデータベースとファイル構造、それを並列処理する仕組み、そういった「データ組織力」がGoogleの本当の根幹だった。
地球を泳ぐあらゆる魚を、一気にセリ落とせる魚市場。Googleが作ったのはそのような「土台」だった。
どんな世界でも、柱と土台が必要なんだ、とそう思った。
少し落ち着いた。
中田英寿だ。中田英寿がサッカー界から引退する、とわかった時から、僕の頭は中田英寿のことで一杯になった。
ヒデのプレイがもう見られない。その喪失感は予想以上に僕を苦しめた。どんな言葉を搾り出せばいいのか、途方にくれてしまった。
たくさんの中田英寿を見てきた。サッカー日本代表を応援するために、徹夜で国立に並んだし、韓国やフランスにも行った。
ピッチのサッカーを生で見ると、テレビでは見えなかった選手の存在感というのが迫ってくる。ピッチの上の中田英寿は、いつでも圧倒的な柱だった。
その柱は、いつも首を左右にせわしなく振って走っていたが、すぐに世界と互角に戦える柱になった。一方で、日本サッカーは、中田英寿と同じレベルで、世界と組み合える選手を、得ることができなかった。柱はいつの間にか孤独になった。
ドイツワールドカップ、ブラジル戦の直後、日本のサッカーの柱がピッチに倒れたとき、僕たちは痛い現実と向き合っていた。柱がいくらがんばっても、日本サッカーの土台は、世界と戦えるレベルになかったのだ。
どの世界でも同じだ。柱だけでは何もできない。土台、基盤、裾野、結局、そこが強くならないと、チームとして世界と戦っていけない。
どんなときでも本質を見極めようとする中田は、たとえ遠回りをしても、きっと日本の「土台」に、自分の誇りと経験をしみ込ませる仕事に取り組むことになる、、、勝手な思い込みだが、今は、そんな気がする。
だから僕は、中田英寿が学校を作る、と言い出しても決してオドロキはしない。中田英寿にはあらゆる選択肢が存在する。
全国の少年たちと中田英寿がサッカーをする旅に出てもいい。ベッカムのようにサッカーアカデミーをつくるのも大歓迎だ。伝える手段が必要なら、静かに本を書き続けてもいい。その手段がテレビだと中田英寿が信じれば、あえて芸能プロダクションか制作会社に入って、テレビで中田英寿の考えを伝える番組を持ってもいい。そうではなくて、いきなり世界で一番若いサッカー協会会長になってもいい(これが一番なさそうだ)。
中田英寿は、最後のメッセージで、サッカーを続けると言っていた。確かにそう言っていたが、ても、サッカーの世界で仕事をする、とは少しも言っていなかった。
それでも、できるなら、たとえ長い時間がかかってもいい、、、、彼が日本サッカーの土台作りに関わるのではないかと、そんな期待を抱いている。もし、中田英寿がそんな土台を作る仕事に取り組むなら、今度は観客ではなく、少しでもいいから僕も関わりたい。
これも僕の勝手な思い込みだろうか。でも、今はそうでも考えないと、この喪失感を埋めることが難しい。
中田英寿がブラジル戦の後に、ピッチに倒れたとき、僕は不思議な錯覚を見た。柱だった中田英寿が、芝の上で「土台」になり、そこから子供たちが世界に登っていく姿を。
ヒデ、こちらこそ、本当にありがとう。

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コメント

  1. 匿名 より:

    ひでメールが紹介された「アッカ」という雑誌を、ひでがイタリアにわたる頃に手にして以来、ずっと彼を応援してきました。
    そしていつの頃からか、ひでの海外クラブでの試合を観戦することが私の唯一の贅沢、この上ない楽しみになり、彼のメールやボイスメッセージは、私の心の糧でした。
    先日からひで引退に関する記事を読む都度、涙が流れてきます。
    今日また、おおうちさんのメッセージを読ませていただいて、涙がこぼれてきました。
    私もこの喪失感をどう埋められるのかわかりません。
    私たちの前からひではいなくなってしまうのでしょうか。
    それがひでの希望なら仕方ありませんが。
    このうえなく寂しいです。
    私はまだ、ひでに「ありがとう」と言えるまで、まだ少し時間が」かかりそうです。

  2. 伊織 より:

    あのピッチに仰向けに倒れた ヒデの姿は
    日本サッカー史の1ページですね。
    ドーハの悲劇と同じくらい
    鮮明な映像が 脳裏に染み付いております。
    日本サッカー史において 心を離れないシーンの多くが
    悲しいシーンが多いです。
    いつか 日本中のサッカーファンが心から
    歓喜し、 選手が最高の笑顔の瞬間が
    歴史のページに刻まれることを願うばかりですね。
    それには 「土台」が 必要だとおもいますね。
    彼がどうするかは別として
    あの姿は ドーハ同様 きっかけには
    必ずなるはずです。
    彼とオオウチさんが 仕事してる姿って
    見たいですね。

  3. スポンタ より:

    すばらしい分析だと思います。
    仰向け倒れたヒデをほったらかしにしたチームメイトって、なんだったんだろうな。その断絶を痛烈に思う。
    その断絶に負けたのがヒデであって、その修復を今後の人生でやっていくのだと思う。

  4. フミ より:

    大内さんのコラムを初めて拝読させてもらいました。
    1つ1つ読ませていただいていってたのですが、それぞれに読者に対して「サッカー」に対する問い掛けがあり、とても考えさせられました。
    私も中田英寿選手のファンですので、投稿させていただきます。
    ヒデだけが日本人であの時期になぜ活躍できたかは、彼のサッカーに対する決断力が今の選手と比べはるかに高かったのだと思います。技術だけ、フィジカルだけではなく最も重要なメンタリティやサッカーに対する取り組み方が違ったように思います。
    引退表明を読んでヒデのサッカーに対する熱い思いは十分伝わってきました。しかし、好きとは言わず「サッカーは仕事」と言い続けてきました。好きとは違う、重い責任。大好きだからこその言い回しで自分を追い詰めていた。
    技術だけなら、ヒデを上回る選手は数え切れないほどいた。しかし同じ目線を共有できる位置には辿り着かない。改めて、人間の意志が与える影響は計り知れないと考えさせられました。
    ヒデ、長い間本当にお疲れ様でした。

  5. フミさん、コメントありがとうございます。
    >大好きだからこその言い回しで自分を追い詰めていた。
    本当ですよね。ヒデはどちらかというと、サッカーはお仕事だから、と言っていたように思います。
    でも、実は本当に好きだったんだ、ということが分かってうれしかったですね。
    >改めて、人間の意志が与える影響は計り知れない
    >と考えさせられました。
    今でも、ヒデのプレイが画面に移ると「すごい選手だったな」と思ってふるえがきます。
    でも、それはフミさんがおっしゃるように、「技術面ではない」ですね。
    人間の意志が与える力、というのは本当にその通りだと思います。

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