マッツォーネ 誠実なサッカーにちょうどいい大きさ

20年前も自分自身は良い監督だと思っていたんだ。だが、今あの頃を振り返るとこう言いたくなる。「20年前の自分はなんて下手な采配をしていたんだ」Web CALCiO 2002 カルロ・マッツォーネ インタビューより

この小さなコラムにも、時には読者のコメントやリクエストが届く。恐らくバッジオのことを書いたからだろう、バッジオや中田が、尊敬する監督だと言われているカルロ・マッツォーネについて書いてほしいという依頼が来た。小さなコラムなので、早速そのフィードバックに答えることができる。
マッツォーネは、1971年からイタリア セリエAの監督をやっていて、今年で年齢は69歳になる。わが日本代表のオシム監督よりも4歳ほど年上だ。
マッツォーネは背広を着ない。試合中にベンチに座っていることが無い。よく怒りよく笑い、飾らない性格で、多くの選手やファンから尊敬されている。
若きマッツォーネはセリエCでの選手生活を終えると、指導者の道を目指し、やがて自分がディフェンスとしてプレイしていたアスコリという小さなセリエCの監督からキャリアをスタートする。
そのチームをセリエBにあげ、そして、その小さなチームをついにセリエAに上げてしまう。(マッツォーネ采配の元、アスコリの最高順位はセリエA 6位)
その後もブレシアやボローニャなど、多くのチームをセリエAに昇格させ、そして残留に導いてきた。いわば崖っぷちの魔法使いのような人だ。彼が有名なのは、小さなチームに奇跡を起こしてきたことと、それから、多くの名選手を混迷から救い出し、半永久的な深く強い関係を築いてきたからでもある。
ローマの監督をしたときには、若いフランチェスコ・トッティを大抜擢した。ブレシア、ボローニャ時代にはメディアがもう終わったと書きたてたロベルト・バッジオ中心のチームを作り、バッジオの消えかけたファンタジーをよみがえらせた。

私はバッジォをピッチに送り出すとき一つだけ指示をする。『90分間で一度だけでもいいから君らしいプレイをしてくれ』とね。それが我々に歓喜をもたらすのを私は知っているからね

監督が選手を信頼し、選手は監督に信頼されることで輝く。
そのとき生まれる師弟の絆は、強く深い。
つい最近も引退後のバッジオに、「もう一度プレイしないか」と誘ったという。

「マッツォーネは偉大な人物だ。もし膝の痛みがなければ彼の力になりたかったんだ。自分が孤立していた2000年、マッツォーネには本当に助けられたよ」-livedoor スポーツ 2006年02月19日

バッジオも怪我さえなければ、そのオファーを受けていたかもしれない。
中田も同じだ。
マッツォーネは、ペルージャ時代に中田英寿と出会い、中田にほれ込む。パルマで右サイドという慣れないポジションで、力を発揮できずにいた中田を、シーズン途中のボローニャにレンタル移籍でひっぱった監督だ。
「マッツォーネがいるからボローニャに行った」
そう中田が証言したとおり、中田とマッツォーネの間にも、バッジオと同じような深く強い絆があった。

「私は今まで、トッティやバッジオなど上質の一撃で試合を決めることのできるスケールの選手を使いこなして来た。そして、中田はそのレベルであると言える」-ほぼ日刊イトイ新聞 フランコさんのイタリア通信 2004年2月16日

海外で決して順風満帆とはいえなかった中田英寿を、もっともよく理解し、評価していたのはこのマッツォーネだった。
マッツォーネは、多くのイタリアチームで監督をしたが、インテルやユベントス、ACミランなどビッグクラブでの経験はない。
名門フィオレンティーナをセリエAの3位まで導いた経験もあるのだから、恐らく、彼ほどの名将なら、ビッグクラブから、声がかからなかったわけではないだろう。
しかし、彼はビッグクラブを避けるように、小さなクラブからの熱い思いにだけ耳を傾けてきた。
「夢は“小さくて偉大なチーム”を作ること。プロとしても組織としても、他の模範になるようなチームを作りたいのだよ」
そう証言しているように、彼はビッグクラブでの名誉よりも、小さなクラブで実現する誠実で美しいサッカーを求め続けた。

時とともに、自分の采配能力も向上していると思う。実は、20年前も自分自身は良い監督だと思っていたんだ。だが、今あの頃を振り返るとこう言いたくなる。「20年前の自分はなんて下手な采配をしていたんだ」。今だってネクタイをしたことはないし、社交的に振る舞ったこともない。ただ、監督としての経験と準備だけは身についたような気がする。

ローマの監督時代に、彼は優勝チームを創り上げようとして、失敗している。彼のキャリアの中でも、明確な目標を達成できなかった、数少ない期間だ。
若きマッツォーネは、自分を天才監督と過信したことだろう。そしてローマで、恐らく政治的なことなどいくつかの壁に煩わされた形跡がある。この時期が彼にとっての転機だったような気がする。
クラブが小さすぎれば資金面や選手の能力の面で、できることが限られてしまう。
しかし、逆にクラブが大きすぎると、潤沢な資金と上手な選手たちがいても、今度はそこに政治的なことやメディアへの対応など、サッカーを邪魔する要素が多くなる。
サッカー監督の難しさは、たとえ監督の頭の中で答えが出ていても、それが簡単には形にならない、という点だ。
選手やスタッフやサポーターを巻き込んで、偉大なチームを作り上げようと思うと、一人の人間が誠実に取り組んで、実現できるためには、できるだけノイズが少ないほうがいい。
受け止める選手やスタッフの側にも、やはりマッツォーネと同じ、美しいサッカーへの信頼と渇望がなければいけない。
下手に、プライドやブランドがあるチームでは、それがかえって邪魔になってしまうのだ。
そして小さなチームにも、美しいサッカーにふさわしい選手が埋もれている。時には気づかない宝石の輝きをもった若手もいる。
ビッグクラブを追われたバッジオや中田のような、誠実で偉大な選手との出会いもある。
自分の誠実さが届く範囲で、一体感をもってサッカーが創り上げられるとき、その感触はビッグクラブでは味わえない喜びになる。
小さく誠実な中でこそ、挑戦と喜びがあり、自分が自分でいられ、常に自分が成長していけると感じられる。
そう、たとえ、69歳になっても。

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