レフェリーの話 一緒になった空気を共有したい

見ている人もやっている人も僕自身も、本当にゲームに集中していければ面白いですよね。一緒になった空気を共有できれば上川徹の言葉 NHKにんげんドキュメント(2006年5月26日)

もう3年前の話になるが、当時小学校6年生で、地域の選抜に選ばれたサッカー少年に聞いた話だ。その地域選抜の試合は、特に重要というわけではなかったが、恐らく協会の主催だったからだろう、主審として岡田正義氏が笛を吹いたという。
「あれ、岡田さんだ」と少年は思いながら試合に入り、そしてちょっと不思議な感じを味わったというのだ。
「気持ちよかった。すごく試合がコントロールされている感じがした」
サッカー少年の顔を見ていると、そのときの試合の感覚が忘れられない、とそんなふうに遠い目をする。
サッカーのプレイ経験がない僕には、正直、それがどれほどの気持ちよさかは実感がわかない。
「岡田さんが存在感があるんだ?」
「違う、違う、試合中、審判が見えていたり、気になっていたりしたわけじゃないんだ。どちらかというと審判は消えていた感じ」
そこにいて笛を吹き、フィールドを走っているのに、消えているピュアな感じ。なんだか禅問答でもしているような高度な話に思える。
そう言われて思い出したのは、まったく別の世界の話。
優れた心理療法士は、カウンセリングの場面で、クライアントと一体になったような感覚を持ち、クライアントからは受け答えをしているカウンセラーが見えなくなるという。
「自己同一」と言ったり英語でgenuine(純粋な、誠実な)といったりする状態らしい。カウンセラーがいるのに、まるで自分とカウンセラーが一体になったように感じて、クライアント自身が問題の解決に向かっていく、という。
レフェリーの話とカウンセリングの話を一緒にするのは乱暴だけど、流れている時間がピュアになり、そこに関わる人間の「集中力」が高まっていくという点で、共通しているように感じる。
審判はとても不思議な存在だ。それを実感するのは、Jリーグの試合よりも、少年サッカーの少し大きめの大会のときだ。黒い服を着た男(最近は女性も見かける)は、チームのスタッフや選手など、まわりの人間たちともあまり話さず、もくもくと準備をしている。試合が終わった後も軽く挨拶をする程度で去っていく。中には、グラウンドに残って一人ジョギングをしている審判もいる。
子供たちのプレイの熱い記憶を抱えて帰るお父さんお母さんも、審判に関心を寄せたり、記憶にとどめることはない。
ましてや、そこにいる審判の気持ちについて考えることなんてぜんぜんないだろう。
しかし、サッカー少年の話を聞いてから、僕は審判に対する見方が少しだけ変わった。
彼らがルール違反を裁くためだけに、そこにいるとは思わなくなった。
彼らの目指す場所は、もっと高い場所かもしれないと。
自分たちが見えないピュアな状態にゲームをコントロールして、選手の集中力を引き出す。

理想を言えば、僕のやることがゲームに影響して、こういい感じで介入できていて、それが最初の10分か15分ぐらいでもいいんですよ、その後、笛を吹かずにゲームがどんどん流れていって、なおかつ割と白熱してて、見ている人もやっている人も僕自身も、本当にゲームに集中していければ、面白いですよね。一緒になった空気を共有できれば

ドイツワールドカップで上川主審が笛を吹いたのは、もう遠い昔に感じる。ドイツ対ポルトガルの3位決定戦で、試合後ポルトガル代表監督のフェリペや、ドイツ代表のオリバーカーンが、上川主審に賛辞を述べた。
サッカーを知らない極東の国からきた審判に、社交辞令を言っただけ、と見ることも出来るが、多分、その賛辞は素直に受け取っていいだろう。
サッカーのゲームの美しさを知り尽くした彼らだからこそ、上川徹さんがコントロールした試合の一体感を肌でわかっていたのだ。
振り返って僕自身の仕事はどうだろう。
ウェブプロデューサーなどと偉そうに名乗っているが、いつも仕事の間中、自分が一番目立っているような仕事ぶりだ。仕事の主役は自分ではなく、企業の社員やデザイナーや、その仕事に関わって手を動かす人たちであるべきだったかもしれない。
自分が見えなくなるぐらい、チームメンバーが集中できるよう仕事の場をコントロールする。そんな上川徹さんたち優れた審判たちと同じレベルの仕事を、僕はまだできていない。
僕は何も、レフェリーは偉い人たちだから、彼らにブーイングを送るのをやめようなどと言うつもりはない。岡田正義さんの最近の判定だって、僕は大いに不満だ。
上川徹さんだって、Jリーグの最初の頃は極めて評判の悪い、カード連発型のレフェリーだった。
しかし上川さんは「サポーターのブーイングが励みになった」とコメントを残している。
サポーターのブーイングを、上川さんも受け止めていた。そんな経験を積んで、上川さん自身も、自分の笛の影響について、より高いレベルで考えるようになっていったようだ。
素敵な試合の一員でいたいと3者が願い、純粋な状態が作り出されたとき、スタジアムに座る僕らもゲームと一体になることができる。それが滅多に出会えない状況だとしても、その時レフェリーが果たした役割は、僕らの想像以上に大きい。そのことだけは、今は確信が持てる。
今年もJリーグが開幕した。
今年、ピュアなゲームにいくつ出会えるだろう。
もし、そんなゲームに運よく出会えたら、僕はいつものようにサッカーの神様に感謝を捧げる。そして、静かに去っていくレフェリーにも、しっかりとお礼を言おうと、そう思っている。

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