日本対UAE 少年サッカーのような展開

「もし、あれが少年サッカーの試合だったら非常によいゲームですよ」
ある日曜の午前中 近所の少年サッカーコーチの言葉

まわりをよく見て、みんなでボールをつないでゲームを運び、勝ち負けにこだわらずプレイする。
少年サッカーでは、そうやって子供が、広い視野とゲームの中でのボールに対するテクニックを磨いていく。守ってカウンター、ロングボールを蹴りだすことや、相手をつぶすプレイはもってのほか。
「そういう少年サッカーの視点で見れば、あの試合は満点です。
でも、あれは日本代表の試合なんですよねぇ・・・・」
天気のよい日曜日、学校のグラウンドでは、子供たちがサッカーの試合をしている。
散歩の途中、にぎやかな風景にひかれて、近所の校庭に足を踏み入れると、昔、僕の息子を教えてくれたコーチが朝礼台の上に座って、子供たちのゲームを見ている。
目の前では、小学校4年生の対抗戦が行われている。
まだ、ボールをしっかり運べる子は少ない。
時々、切り返しのフェイントをかける子がいて、目を引く程度だ。多くの子は、ボールに触ると、前に蹴りだしてしまう。
足の速い子がボールを追いかけるが、どうしても、少し前にボールを蹴ってしまい、最後のフィニッシュはきちんと蹴ることができない。
親たちがグラウンドを取り囲み、子供がゴールに近づけば歓声と、そしてその後に溜息が漏れる。
「最近、トレセンの弊害で、上の子供たちに尖った子が少ないんですよね」
コーチはなんとなく、そんな話をはじめる。
目の前で行われているサッカーの試合を見ながら、日本のサッカーを憂う。
足元のうまい子を選んでいくと、ほとんどの子が、いわゆる一つの「ミッドフィルダータイプ」の子供の集まりになる。
その危機感と弊害は、少しづつだが、共有されはじめているのだろうが、しかし、変化の歩みは遅い。
トレセンやクラブチームの子供たちを見ると、そこには尖ったタイプの子がほとんどいない。
個性的な選手が少なくなり、局面を打開するプレイや、縦に突破する動きは少なくなる。誰もが足元でボールをつないで、サッカーを展開していく。何よりも、子供たちに刺激が少なくなり、その子たちのプレイの発想の幅をせばめてしまう。
かくして、つなぐ時間は多いのに、ゴールは果てしなく遠い・・・・そういう青いチームの集団ができあがる。
「日本がワールドカップに行けなければ、きっと協会も現場も、これではいけないと必死になって切り替えをはじめるでしょう。そのとき、もっと下手でも個性的な選手、可能性を感じさせる選手を育てないといけない、という話に自然になるかもしれないですね」
もちろん、ドイツにいけないのはとても困るが、確かに彼の意見にもうなづける部分はある。
別のコーチも、言い方は違っていたが、同じようなことを言っていた。
「結局、現場のコーチも『野猿がほしい』って、いつも言ってますよ。うまい子、おりこうな子ばかりだと、サッカーに広がりがないんですよ」
サッカーにかぎらず、均質な人間だけを集めると、その世界は自然に衰退していく。
逆に、いろいろな個性的なタイプの人間が集まって、ぶつかりながら、上っていく世界は、人間を、チームを強くする。
身近にいるまったく違うタイプから、自分の足りない部分をみつけ、嫉妬し、無視し、あるいは吸収しようとする。
葛藤が自然と子供たちを大きくする。
それは、おそらくサッカーだけの話ではない。
結局、人々が均質な社会や均質な集団を求めれば、均質なサッカー代表チームが生まれる。
異質な相手を尊重すれば、個性的な集団が、青いユニフォームを着て、サッカーを勝ち抜いていく。
けれども話を大きくして、途方にくれている暇はない。
ドイツはともかく、その次のワールドカップまでに、日本代表は、もっと違う集団になっている必要がある。

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