「でも、何も学ぶべき点が見つからないんだよね」
2005年6月8日 ワールドカップ アジア最終予選
北朝鮮戦直後 知り合いのサッカー中坊(中学生の坊主)の言葉
日本が世界最速で、ドイツ出場を決めた。それから数日が過ぎ、いろいろな言葉があふれた。
その中には印象的な言葉がいくつもあったが、結局、僕の中で、この言葉だけがいつまでも残った。
日本代表が勝ったのはうれしい。でも、サッカーとして、学ぶべき点がない・・・・と。
サッカー選手をめざす中学生にとって、プロのサッカーは、うまくなるためのヒントがあふれている。
代表チームの真剣勝負なら、そうであるに違いない・・・
たとえば、チャンピオンズリーグのチェルシー対バルセロナのゲームを見れば、エトー(バルセロナ フォワード)のフェイントを見て、「明日早速やってみよう」と、そう思う。ロナウジーニョのトーキックを見て、これは別格だと、あきれながらも、そのイメージをしっかりと刻み込む。
チェルシーを見れば、両方のウィングが見せる攻撃の仕方とか、ランパードがゴール前に飛び出すタイミングについて、語りたいことがいっぱいある。
リバプールの試合で、ジェラードのミドルシュートの蹴り方(蹴り終わった後、体重が後ろに残っていないよね?)を、何度も何度もビデオで再生する。
別にそれはヨーロッパに限ったことではない。日本のJリーグのゲームだって、ガンバの二川からのパスとか、マリノスのドゥトラの左サイドを駆け上がる姿、ジェフのボールと人が連動して動く姿とか、一人一人のテクニックとか戦術には、何かしら得るものが見つかることがある。
でも、今の日本代表の戦い方の中には、なんか、こう繰り返し見たくなるシーンが見つからないんだ・・・
と、その中坊は言っていた。
気持ちが大事とか、チームとしてのまとまりが大事とか、ロスタイムでもあきらめない姿勢とか、鈴木が倒れても倒れても起き上がるとか、そういうメンタルな面は、確かに学ぶべきかもしれない。
それはとても大切なことだ、ということは頭ではわかっている。でもさ・・・
その中坊も、小学生のころは、日本代表のユニフォームを頭に描きながら、砂の校庭でボールを蹴っていたはずだ。
でも、今、中学生になってサッカーを続けていながら、日本代表への憧れが、彼の中で薄くなっている。
ジーコのファミリーに入りたい・・・・・と、そういう自然な憧れを、中学生が、もう持てない。そういう時代になっているのだろうか?
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