小野伸二を待つ人々

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「おいじちゃんになってもボールが蹴れるならやっていたいなぁ」
小野伸二インタビュー 月間バーサス 2004年12月号より

もう5年以上も前の話だが、小野伸二が少年サッカーの一日コーチをする場所に居合わせたことがある。スポンサーだったコンピューターメーカーの催しだった。
いったい浦和レッズの誰が来るのか、参加者には事前に知らされていなかった。どうせ知らない選手が来るんだろうぐらいに思っていたので、すぐ目の前に小野伸二があらわれたときは、体がざわっとなった。
レッズの選手は小野を含めて4人いた。その中には、ジョホールバルで運命のゴールを決めた選手もいた。
「さあ、リフティングできる子はいるかな」と小野が子供たちに聞く、自信のある子が、輪の前に出てリフティングをしてみせる。
「上手だね」とほめつつ、じゃあ、僕がやってみよう、と言って小野伸二がリフティングをはじめる。
そこから、小野伸二を取り囲んだ子供たちの体が、一呼吸前に出て行くのがわかる。ボールと戯れる小野を見る子供たちの目は、はじめて新幹線を見たとき以上に輝いていた。
そこから、グループに分かれて、いろいろなトレーニングがはじまるのだが、小野伸二のグループになれば、みんなが喜び、そうでないと軽くがっかりする空気が流れる。子供たちは、まあ、その辺ははっきりしている。
そんな子供たちと小野伸二を見ている自分も、もう子供ではないのに、子供のように楽しくなっていることに気づく。
今思い出しても幸せな時間だった。
「サッカーは楽しい」
そのことを疑ったことがなかったが、ずっとサッカーを見つづけてきて、その「楽しさ」を気づかせてくれる選手が、それほど多くいないことに僕は気がついた。
選手の凄さやテクニック、賢さや必死さ、ライン際まで走ったり、飛び込んでヘディングする姿には感動を覚えるものの、「サッカーの楽しさ」を体中で表現できる選手は、めったに出会えない。
スタジアムで見ていたときも、絶頂期の小野伸二のサッカーは実に楽しかった。勝利のなかったフランスワールドカップで鮮烈に覚えているシーンは、クロアチア戦の中田のパスと、ジャマイカ戦で見せた小野の股抜きだった。
小野伸二が、世界的に見ても、サッカーの楽しさを体中で表現できる稀な存在だったのは間違いない。
無意識のうちに過去形で書いてしまったのは、おそらく理由があるのだろう。ここしばらくの小野伸二からは、「楽しさ」が抜け落ちている。フィールド上でも、小野は迷っているように見える。位置取りや走り方に工夫をして、さまざまな試みをしているものの、肝心なところでミスが目立ち、プレイが軽く見えてしまったりする。
最近の小野から伝わるのは、サッカーの現実面に適応する苦しさのほうだ。
それでも、時々だが、ふとした瞬間に小野伸二が輝くときがある。あっと思って、体が乗り出す。やっぱりすげーと思ってリプレイを何度も見る。
その数が、ここ数週間では増えてきているようにも見える。
ワールドカップを終えたことで、最近は少し吹っ切れた、と小野自信発言もしている。
新しい日本代表監督になった気難しい熊おじさんは、小野伸二を代表に呼ばない。
今の小野は代表にふさわしいプレイをしていない。熊おじさんの走るサッカーに小野は合わない。ボールを足元でもらう選手がお気に召さない、、、、などの意見があるのだが、どうなんだろう。
僕はやがて、小野伸二が代表に呼ばれるときが来ると思っている。熊おじさんだって、サッカー好きなのは間違いない。
あんなにたくさんJリーグの試合を「視察」しているのは、選手選考という過酷な任務があるのだが、実は単純にサッカーを見るのが好きだから、ではないだろうか。気難しい顔をして、実は誰よりもサッカーを楽しんでいるのではないか、とかんぐっている。
熊おじさんは、そういう人なのではないだろうか?
そして、熊おじさんは、ひそかに小野伸二のプレイを見て、楽しんでいるのではないだろうか?
待っている・・
小野が代表に呼ばれるのを待っている、というわけではなく、その逆で、代表に呼べるようになるのを、熊おじさんは待っているのではないだろうか?
小野伸二を呼ばないことで、小野に伝えていることがあるように僕には思える。
もし、小野伸二が、かつての輝きを復活させ、サッカーの楽しさを表現しはじめたら、、、
たぶん、僕が熊おじさんなら、走らなくても、小野伸二を呼ぶ。
小野がすっとパスを出すと、走りこんだ選手にぴたりと合う。そういう場面を僕らは何度も目にしてきた。走ってきた選手よりも、そこにパスを出した小野にため息が出る。
あの楽しいサッカーを、目の前で、自分のチームで見てみたい、と気難しい熊おじさんだって、そう思っているに違いない。

「最終的な居場所は、浦和レッズじゃないかな(笑)。まあ、先のことはわからないけど、プロの選手として最後は日本でプレイしたいという気持ちはあります。プロじゃなくなっても、サッカーはやれるだけずっとやりたい。草サッカーでも何でも、体が動く間はずっと。おじいちゃんになってもボールが蹴れるならやっていたい」*このインタビュー当時、小野はオランダでプレイしていた

サッカーは楽しい。
その当たり前のことを、小野にはずっと見せていてほしい。40になっても、50になっても、ボールと戯れる小野を見ていたい。

コメント

  1. kamakura16 より:

    全く同感です。熊おじさんは、そう、サッカーが好きなんですよね。Jリーグが面白いんですよ。で、待っている。小野の調子がさらに上がってくるのを。全く同感。

  2. kuni より:

    最近代表のサッカーは見る気になりません。当然あの熊おじさんが小野を完全に閉め出しているのが許せないのと、小野のいない日本代表なんて魅力がありません。あの3軍並みの日本代表をどうして応援できますか?なぜ小野じゃなくて遠藤なのか?わかりません。ただ単にジーコの匂いを消したいだけで無視しているのではないかと思っていました。でも小野は終わった選手じゃないんだと信じている。小野は最終的にジーコジャパンでは不遇を味わった。確かに度重なる怪我がジーコの最終的な信頼を勝ち得なかったのだろう。そして中田ヒデへの寵愛、中村への寵愛を、小野が不遇という形で受けてしまうめぐり合わせだったのかもしれない。でも小野を好きなサポは小野は日本代表に落ちこぼれる選手ではないと今も信じて悶々としている。
    小野がこの先どういう復活劇を見せてくれるか、私はそちらのほうが日本代表を応援するより大切だ。
    小野の笑顔とサッカー大好きな瞳にもう一度会いたい。
    小野伸二を私は待っている一人です。

  3. juan roman より:

    全くもって同感です。ただ、私は熊おじさんについて楽観してい
    る部分があります。
    熊おじさんのサッカーは決して目新しいものではなく、「ボール
    と人が有機的に動く」というアーセナルやバルセロナが目指すセ
    クシーなものだと思っています。今はその基盤を整備しているに
    過ぎないからチームカラーが決まってしまうような選手を呼べな
    いのだと。実際、中村憲剛や藤本淳吾も呼ばないし、小林大吾は
    呼ばれても満足に使われていないですね。
    欧州組にしても「ゲームを捌く」という意味では中村俊輔に少し
    感じるものがある程度で、お気に入りと言われる松井の武器は局
    面でこそ活かされるものだと思います。
    つまり、チームの心臓部分を担う選手のチョイスは現時点では行
    われてすらいないと思うワケです。だから熊おじさんは、情けな
    かった中東での戦いぶりにも軸をぶらす事なく基盤整備を続ける
    んだと思います。
    私が小野に求めるのはアルゼンチンのリケルメのように割り切る
    事。たとえ時代遅れだのサーカスだのと言われようと、「オレは
    こんなサッカーをやりたいんだ」と胸を張って貫いて欲しい。
    それだけで道は開かれると信じています。

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