中村憲剛と日本サッカー フィジカルの弱さこそが世界への道

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そういう意味では、小さくてよかったかな、と思いますけどNHKにんげんドキュメント「サッカーは楽しさだ」12月15日放送

また一年が終わる。
今年は、僕にとってもサッカー界にとっても、とても特別な一年だった。きっと10年後、20年後、50年後に振り返れば、この年がすべての変わり目だったと思えるだろう。
2006年、ワールドカップでは、涙も出ないような辛い日本の敗退があり、ヒデの引退があり、イタリアの優勝があり、ジダンの頭突きがあった。
ヨーロッパではバルセロナのヨーロッパでの優勝があり、チェルシーの強さが際立ち、イタリアの八百長事件の混乱があった。
日本のサッカーでは浦和レッズの優勝があり、J2では横浜FCの優勝があった。そして、ジーコが去り、熊おじさんが日本代表の監督になった。
これだけ転機を象徴するような大きな事件があった一年を振り返って、僕が今年の象徴的な選手としてあげるのは、トゥーリオでもカンナバーロでもロナウジーニョでもなく、一人の華奢な日本のサッカー選手の名前だ。
中村憲剛(けんご)。
彼は今年のサッカーの大きな事件とは、ほとんど関わっていない。
それでも、僕は彼の猫背なプレイを繰り返し見ながら、なぜか日本のサッカーのポジティブな面を、この一人の選手が象徴しているように思えている。
中村憲剛については、雑誌やテレビで取り上げられているとおり、川崎フロンターレで活躍する以前は、まったく無名の選手だった。
唯一の全国レベルの栄光は、小学6年生のときに、スポーツ少年団で全国大会に出場したことだ。

スポーツ少年団で全国大会に出てるから、プロ入りできてなかったら、オレの経歴のピークは小学生でしたよNumber 667 「規格外の成長曲線」 2006年12月14日

それがいまや、(あまり特定の選手を誉めない)オシムをもってして「世界レベルのエレガントな選手」と評する存在になってしまっている。
大学2部リーグの中央大学の選手に川崎フロンターレの強化部長が気づかなければ、この才能はまったく埋もれていたことになる。
埋もれていたのは、彼のフィジカルに一つの理由があった。
中学卒業時は、背が低く155センチに身長が届いていなかった。

ぱっと見たときに、あれ? 中学生が来たのかなと思うくらい細く小さくて、まさか将来トップチームのレギュラーになるような選手とは一つも思えない、そういう体つきでした都立久留米高校サッカー部監督の言葉NHKにんげんドキュメント「サッカーは楽しさだ」12月15日放送

中村憲剛は、好きなサッカーの世界でもっと上にいけるよう、自分のフィジカルの弱さを補うために考え抜いた。
そしてトラップなどの基本の練習をめげずに繰り返すことを続けていった。自分よりも強いフィジカルを持った選手たちのプレッシャーから逃れ、自分のプレイを1秒でも長くできるようにするためには、トラップを正確にすることがもっとも高い優先順位になった。
その積み重ねは、実を結ぶわけだが、彼の才能が目覚しく伸びるということはなかった。ただ、少しずつ少しずつうまくなっていく。
そして何よりも、好きなサッカーで一つ一つの壁を乗り越えていくことが、とても楽しかった、と中村憲剛は言う。

自分がもし高校生の時にすでに大きくて、スピードもパワーもあったら、そういうのは考えなかったかもしれないですね。考えなくても、多分、やっていけるだろうから。そういう意味では、小さくてよかったかな、と思いますけど。考える基礎というのを、高校の時に出来たのでNHKにんげんドキュメント 同上

川崎フロンターレに運よく入団できた後も、すぐに状況が改善されたわけではない。トップ下としてプレーしても、プロの高いプレッシャーの中で思うようには答えが発揮できない。
そこで、関塚監督が、中村をボランチにコンバートする。

ボランチは最初きつかったけど、すごく充実していました。ちょっとずつ自分の中で面白くなってきて、自分の覚えれることが一杯あって、それを一個ずつ覚えていくことがすごく楽しくてNHKにんげんドキュメント 同上

中村が高校時代に直面したフィジカルの壁と、それを克服するために考えた末に選んできた道は、実は今の日本が直面しているサッカーの課題と鏡のように一致している。
1998年のフランスワールドカップに初めて出場してから、日本のサッカーは、まだ8年しか世界を経験していない。
日本代表だって、世界の中では、中学生のようなものだ。
日韓ワールドカップでベスト16に入ったのは、小学生が全国大会に出たのと変わらない極めて小さなピークだ。
中学の終わりに、ドイツのワールドカップに出てみたら、フィジカルの差が歴然として、何もできずに終わって愕然としてピッチに倒れてしまった。
しかし、ここからだ、と高校生の数学教師のような熊おじさんが背中を丸くして僕らに語りかける。日本のサッカーのポテンシャルを最大限に発揮すれば、決して世界と戦えないわけじゃない。
そのためには、魔法も何もないんだ。基本をしっかりとやり、考えるサッカーを走るサッカーを少しずつでも前に進めるだけだ。
高校生になった僕らの日本のサッカーは、中村憲剛の高校生の姿と決して変わらない。
自分たちが考えて、取り組むべきことが、まだ目の前に山のようにある。そのことを、僕らは感謝しなければいけない。
個人的なことだが、ここ数年の僕も、日本のサッカーと似たような感じだった。
仕事が人よりできたように思えていたが、今年、僕は様々な壁に直面した。表面上は涼しい顔をしていたが、自分の力の限界と向き合った。
辛い日々もあったが、考えて考えて進んでいくうちに、それでも、少しずつ、進展している感触を持つことができた。
気がつくと、今立っている場所は、去年立っていた場所とは、明らかに違う高さにあった。
おそらく、こんな風に、来年も再来年も壁を乗り越えて上っていく。
日本のサッカーも中村憲剛も、そして僕自身も。

コメント

  1. 匿名 より:

    中3です。いつも楽しく読ませてもらっています。
    私は憲剛選手が大好きなのでとりあげてもらって嬉しかったです。
    このコラムを読んでいると、サッカーがもっと好きになるし今まで自分が良く知らなかった選手のことも色々な興味深いエピソードが交じっているので楽しく読めます。ありがとうございます。
    できれば、スペイン代表のフェルナンド・トーレスのこともかいてくれると嬉しいのですが・・・(笑)
    よろしくおねがいします。

  2. ありがとうございます。
    フェルナンドトーレス・・・
    ワールドカップでは、プジョルの落としたボールを見事にゴールしましたよね。
    ちょっとがんばってみましょう。
    大内

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