サッカーの言葉

海外のサッカー選手

ジャンフランコ・ゾラ ケーキの上のさくらんぼ

「あれはなんていうか、ケーキの上のさくらんぼのようなものだ」
ジャンフランコ・ゾラ チェルシー・オフィシャルDVDのロングインタビューより
「のだめカンタービレ」がクラシックブームを生んで話題になっているけれど、今から27年以上前にクラシックを描いた名作が少女マンガにあった。 くらもちふさこというマンガ家の「いつもポケットにショパン」だ。1980年から別冊マーガレットに18回連載され、コミックスは全5巻。二つの作品を比べることはできないが、すばらしい作品だった・・・・
日本のサッカー選手

今野泰幸 彼以外は考えられない

「叩き潰すくらいの気持ちで。それくらい圧倒的な差を見せたいといつも思っています」
Number671 2007年2月15日 今野泰幸インタビューより
サッカー少年たちが顔を寄せ合って、次のワールドカップの日本代表のフォーメーションを、自分たちで勝手に考えている。日本のベストメンバーが揃わない状況が続く中、子供たちも、しびれを切らせているようだ。もちろん、そのフォーメーション表がオシムに届くことはないわけだが、それはとても楽しい作業だ。 俊輔が絶対必要だ、松井だ、稲本だ、と言っている中で、一人だけ「今野泰幸」を強行に主張しているサッカー少年がいた・・・・・
海外のサッカー選手

フェルナンド・トーレスと阿部勇樹のマッチアップ

僕がただ居心地がいいからチームに残るんだ、と言われると胸が痛む。僕にとってはチェルシーに行くほうがずっと楽なのに。
フェルナンド・トーレスがスペインのラジオで語った言葉 2007年2月1日
ジェフの阿部勇樹が浦和レッズに移籍する、という話が僕らの胸を複雑にした。 「判官びいき」や「柔よく剛を制す」という言葉があるように、僕らは弱いものが一生懸命がんばる姿にひときわ熱くなる・・・・・
サッカー監督

ジョゼ・モウリーニョが着ているコート

だから、サッカーのいい点も悪い点も、よくわかっているつもりだ。いつか、僕にもよくない日は来るよ。
TIMES ONLINE(www.timesonline.co.uk) 2004年11月14日 ジョゼ・モウリーニョ インタビューより
「このモウリーニョの着ているコートがほしいな」 テレビに向かって僕がそんなことをつぶやく・・・・・
日本のサッカー選手

久保竜彦 パートナーのそばを離れるな

タツ(久保)の動きや位置をしっかりと目で把握していなくても、自分がボールを持ったらこう動いてくれるだろうと、大体の感覚で蹴っている時もあった
「奥大介が語るクボタツのツボ」 週刊サッカーダイジェスト 2006年2月21日号
それはまるで詰め将棋のような展開だった。 「もれなく久保もついてきたりして・・・・まあ、さすがにそれは無いか」
日本のサッカー

JFAテクニカルレポートが抱える広大な行間

「全員がハードワークする」というこの傾向は、日本人が特性として最も力を発揮できる部分であると考えられている
2006FIFAワールドカップ ドイツ JFAテクニカルレポートより
年末年始の休暇の間にJFAのテクニカルレポートを楽しんだ。JFAのテクニカルレポートは、ドイツワールドカップの分析をまとめたレポートだ。 お堅い分析レポートだから「楽しんだ」は適当でないように聞こえるが、僕は純粋にサッカーのエンターテイメントDVDとして楽しんでいる。
日本のサッカー

高校サッカー盛岡商の優勝 勝利の笛を静かに吹こう

「プロセスが大事なんだから。適当なことをやっているやつにこういう思いはできないんだから。そうだろう?」
八千代高校 砂金伸監督 高校サッカー敗退後のロッカールームで
高校サッカーが盛岡商の優勝で終わった。 今年の高校サッカーは、野洲、国見や滝川第二など強豪校が軒並み序盤で敗退し、盛岡商と作陽という予想しなかった比較的地味な組み合わせで決勝戦が行われた・・・・
日本のサッカー選手

中村憲剛と日本サッカー フィジカルの弱さこそが世界への道

そういう意味では、小さくてよかったかな、と思いますけど
NHKにんげんドキュメント「サッカーは楽しさだ」12月15日放送
また一年が終わる。 今年は、僕にとってもサッカー界にとっても、とても特別な一年だった。きっと10年後、20年後、50年後に振り返れば、この年がすべての変わり目だったと思えるだろう。
海外のサッカー選手

プスカシュ 50年前のスタジアムに降り立つ少年

彼のような左足があれば、右足はいらないさ
プスカシュを評した言葉 (Times Online 2006年11月17日の追悼記事より)
「今週は誰を書こうか?」 コラムのネタに困ると、僕はそうサッカー少年に語りかける。 三浦淳宏、ブッフバルト、ロナウジーニョ、マルディーニと様々な候補が挙がる。でも、どれもしっくり来ない。 「プスカシュがいいんじゃない?」 突然、サッカー少年が意外な伝説的プレイヤーの名前を口にする。
日本のサッカー

チームの思いが歴史を作る日まで

「いつかJリーグでマリノスとの試合を見てみたい」インプレス インターネットマガジン 99年6月号 当時横浜FC設立時の経営陣の言葉から
天気のよい冬の日曜日、僕は東京の高級住宅街にある駒沢オリンピック公園にある陸上競技場に足を運んだ。 そこでは、JFLのゲーム、佐川急便東京とFC刈谷の最終戦が行われていた。
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