日本代表

日本のサッカー選手

阿部勇樹が本当に戦う日

アテネ五輪で自分たちのサッカーができなかった悔しさは今も強く残っている。
Number618 2005年1月13日「山本ジャパンとは何だったのか」から阿部の発言
アテネオリンピックに、谷間の世代と言われる日本代表が出場したことを覚えているだろうか? そのときの予選や本選を戦ってきたメンバーの何人かが、昨日のガーナ戦(キリンカップ)に出場していた。 ちなみに、2004年の8月のその日、一戦目のパラグアイ戦は3対4で負け、次のイタリア戦は2対3で負け、最後の試合がガーナ戦だった・・・・
日本のサッカー

Google時代の日本代表に思う

「70年代後半には、日本代表への選出を喜ばず、理由をつけて拒否する者さえ現れた」
日本代表70年代のベストイレブン 大住良之『冬の時代に自らを磨き世界へ挑んだ男たちの群像』
日本代表を語るとき、昔を懐かしむ言葉が最近よく聞かれるようになった。だいたいが、「テクニックは昔より向上したが、代表としての誇りは昔のほうが上だった」というものだ。ドーハの悲劇のときのラモスやカズを中心とするチームのほうが、ずっと代表としての魂を感じた、という声も多い。
日本のサッカー選手

播戸竜二が噛み締めている言葉

自分で限界を決めないで欲しい。俺も25歳まで海のものとも山のものともいえない存在だった。でもそこから飛躍してここまできた。お前にもそれができる
パトリック・エムボマが播戸にかけた言葉 播戸公式サイト 2005年5月16日の記事より
なぜオシムは、播戸を呼ばないのか。それが、最近の家族会議で持ち上がるテーマの一つである。 「日本代表は相変わらずの決定力不足で悩んでいます」と言うニュースが流れるたびに、「だから、播戸じゃん」と安易に突っ込むのだ・・・
サッカー監督

反町監督 それがクリエイティビティーの問題

「公園でやったのはいつも中盤のディフェンスだったね。68mのラインを作って(中略)それがクリエイティビティーの問題」
2006年1月14日 エルゴラッソ スペシャルインタビュー 反町康治
このコラムを読んでいるあなたは何歳だろうか?もし、30代であるなら、少しだけ真剣に最後まで読んでもいいかもしれない。 あなたに伝えたい結論はこうだ・・・・
日本のサッカー選手

小野伸二を待つ人々

「おいじちゃんになってもボールが蹴れるならやっていたいなぁ」
小野伸二インタビュー 月間バーサス 2004年12月号より
もう5年以上も前の話だが、小野伸二が少年サッカーの一日コーチをする場所に居合わせたことがある。スポンサーだったコンピューターメーカーの催しだった。 いったい浦和レッズの誰が来るのか、参加者には事前に知らされていなかった。どうせ知らない選手が来るんだろうぐらいに思っていたので・・・・
日本のサッカー選手

中澤祐二 僕ディフェンダーになりたいんだ

とにかくできる限り走りたい。ただひたすらに。またサッカーが、楽しくできるように
週刊サッカーダイジェスト 2006年8月1日 No.854 中澤祐二「”一時停止”を解く答えを探して」より
1年ぐらい前の話だったと思う。少年サッカーのコーチと話したときのことだ。 「最近、ディフェンスをやりたいって子が増えている気がします」 コーチはそういって首をかしげた。 「昔は、そういう子は滅多にいなかったんですよ」 なぜですかと聞くと「中澤のせいだと思いますよ」と答えた・・・・
日本のサッカー

いったい誰の日本代表か? その2 日本のサッカーは見つかるか?

困難なことは分かっているが、私は自分たちのサッカーに自信を持っている。
2006年06月21日 ワールドカップ ブラジル戦前日 ジーコ監督会見
前回のコラムの続きだ。 今回気になったのは、「自分たちのサッカー」という言葉だった。 「自分たちのサッカー」という言葉が、選手の口から、ジーコの口から、代表スタッフのコメントとして、何度か聞かれた。自分たちのサッカーは、今回のワールドカップにあったのかな・・・
日本のサッカー

いったい誰の日本代表か? その1 発注者の問題

「トルシエジャパンとかジーコジャパンとか、今度はオシムジャパンとか、いったいジャパンは誰の持ち物だって言うんだ!」
都内の飲み屋で愚痴を言っていた人の言葉。 少し離れた席で聞いていて僕は「なるほど」とうなずく。
ジーコの日本代表がなんだったのか考えなければいけない、とそう思いながら時間が過ぎた・・・
日本のサッカー選手

サッカー 中田英寿が取り組む仕事

「今後プロの選手としてピッチに立つことはないけれど、サッカーをやめることは絶対にないだろう」
nakata.net 引退のメッセージ
あるパソコン雑誌で、Googleという検索エンジンの仕組みを紹介する連載を持った。そのとき、僕はGoogleの創業者や技術者たちの論文、特許の申請書類、周辺の記事を読み漁った。そういった書類と格闘しながら、検索エンジンの中味を、文章で組み立てる日々を過ごした。そんななかで、おぼろげながらGoogleの凄さがわかったような気がした・・・
日本のサッカー選手

川口能活と中田英寿 この二人を結ぶキーワード

「ヒデだけが、試合中に頭を切り換える速さが僕と同じなんです。やっぱり世界を戦ってきたからかなあ」
「28年目のハーフタイム」 金子達仁著 1997年
ワールドカップ、日本の初戦オーストラリア戦。日本国民の多くが注目する世界大会の最後の6分間での3失点。川口能活の体の後ろで、ボールがゴールネットを3回揺らす。 そのとき、ゴールキーパーにどんな嫌な感覚が残るのか、僕にはとうてい想像できない・・・
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