高校サッカー 過渡期だから面白いと敢えて言いたい

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はっきり言いますと、片や(=Jユースは)プロ養成所ですよね。私どもは教育の一環で、別にそれで逃げるわけではありません。いずれはそういうスタイルになるだろうと思いますが、その途中の段階だと思います。じゃあ、日本の育成がどうなるかというと先はちょっと見えませんけれども、高校には高校の良いスタイル、良い状況があります
流通経済大学付属柏高校 本田 裕一郎監督 記者会見の言葉(2011年1月8日)
サッカージャーナリスト 小澤一郎氏のブログより引用させていただきました。

高校サッカーの今年は89回目だ。2011年から89を引くと1922だが、戦争の中断もあり、第1回は1918年(大正8年!)までさかのぼるそうだ。

歴史上の分岐点は日本テレビが中継を開始した1971年だ。日本テレビが引き受けた経緯は、そろそろサッカーもプロ化を目指す方向の中で、プロへの選手供給源を、「プロ野球に対する高校野球」の位置づけで、高校サッカーに求めた、という経緯があったようだ。もちろん、まだJリーグは存在していなかった。
時代が変わり、高校選手権は、プロへ通じる高校年代の最高のサッカー大会ではもはやなくなった。ずっと議論されてきたことだが、そろそろ大きく変わる時が近づいているように思う。
個人的には、高校とクラブを縦に割るのではなく、両社をまぜて、上下に2部か3部ぐらいの中心となるリーグを開催するのがよいように思う。
(クラブユースや高校だけの戦いを無くすべきとは思っていない)。
今後、プリンスリーグと高円宮杯が整備されれば、そちらが高校年代最高の戦いになる流れだと思う。
ただ、現状の高円宮杯は、大会の構造や参加方式も、増築を重ねた状態で、高校側にもクラブ側にも、第1優先順位の大会にはなっていないように見える。メディアの露出も低く、本格的な大会として認知されるには、もう数年の時間が必要な気がする。
明らかに高校サッカーが過渡期に入っていると思うのだが、じゃあ目の前の戦いが面白くないか、というとそんなことはない。その辺が、高校サッカーを見ていて、なんとも不思議な気分になるところだ。特に監督たちの仕事は、かえって味わい深い。
とりわけ、今年準決勝に並んだ4チームの戦いは、どれも個性的で、これほどバリエーションのあるチームが並ぶことは、クラブユースではちょっと味わえない。
滝川第二は、守備でしっかりハードワークをした後、2トップにできるだけ速くボールを配給する。準決勝こそ、ふわっとしたボールが多かったが、それも、自分たちの強みを追求して、かつ負けないことを優先した戦い方なのだろう。「結果が出ないと選手たちが報われない」という監督の発言もあったが、あえて結果にこだわる采配を取ったように見える。決勝戦では、フィールドを広く使った見事な戦い方だった。
滝二に対する立正大淞南は、「運動量=勝利」の法則を信じて選手がよく動く。滝二はこれを避けて途中を省略したのだろう、とにかく徹底的に選手がよく走る。敵がボールを持てば、次々に選手を捕まえにいくし、自分がボールを持てばドリブルの間に、周りが追い越すように走っていく。スタンドで見ていると監督はしょっちゅう、選手たちに攻めろ、と鼓舞しているように見えた。ことごとく決定機をはずし勝利を逃したが、チームの個性は十分に発揮された。
久御山は、野洲高校とスタイルが似ていた。すべての選手が、必ず足元でいったん敵を交わして、キープしてボールを運んでいく。
いや、そこはダイレクトでつないだ方がいいんじゃないか、と思う場面でも、そうはしないのだ。実直につないでつないで、明らかに地力が上の流通経済大柏をPK戦とはいえ破ってしまった。選手権の間にチームが大きく成長したと監督が語っていたが、サッカーのスタイル以上に、チーム全体が慌てず落ち着いてプレイしていたのが印象的だった。
一方の流通経済大柏は、フィジカルの上に、選手同士の連携も高いレベルで融合するチームになっている。準決勝では、主力を欠いたため前半だけは、ちぐはぐな戦いぶりだったが、吉田投入後、後半は完全に力を見せつける場面が続いた。特に二点目は素晴らしく、守備に仕事をさせない連携にプラスして、個の判断力も、抜き出ていた。もし、延長戦が導入されていれば、と思わせる試合だった。
多くの優秀な選手が、Jのクラブユースに流れる中、監督たちは足りない現状からチーム作りをスタートしなければならない。問題を抱えつつも、その状況の中で、考え抜き、かえって素晴らしい仕事を見せるというのは、日本人の得意とするところかもしれない。
振り返れば旧来の強豪校に選手が集まらなくなり、そこに野洲高校が旋風を巻き起こしたのを合図に、風景が変わった。矛盾した言い方だが、サッカーの質が低下するのに反比例して、チーム作りの創造性は深まっているような印象だ。
一方のクラブユースの監督の多くが一部の例外をのぞいて、技術はあっても、子どもと向き合った経験に乏しい現状と比べると、余計に監督とチーム作りの個性が際立って見える。
Jクラブの門戸はせまく、ユース年代でチャレンジしようと思う多くの子供たちが目の前で門を閉じられてしまう。選手と親たちにとってみれば、クラブ以外の選択肢が華やかなのは救いだ。
うまい選手の中だとかえって伸びない選手もいるし、高校の途中から化ける選手も少なくない。大学サッカーも含めて、選択肢の多さとチームの個性の豊かさは、日本の育成のすそ野を確実に広く豊かにしている。
冒頭に引用した流通経済大柏の本田監督の言葉は、準決勝直後の会見で、「今後高校サッカーが果たす役割をどう考えるか」という記者の質問に答えたものだ。乱暴な解釈だが、「先がどうなるかなんて、俺にもわからねえが、仕事はこちとらの方が上だぜ」と言っているように思えた。

はっきり言いますと、片や(=Jユースは)プロ養成所ですよね。私どもは教育の一環で、別にそれで逃げるわけではありません。いずれはそういうスタイルになるだろうと思いますが、その途中の段階だと思います。じゃあ、日本の育成がどうなるかというと先はちょっと見えませんけれども、高校には高校の良いスタイル、良い状況があります(中略)。
少し(Jユースの育成の)進化が遅れているんじゃないかと感じていました。じゃあどうなるんだと言われると、高校には高校のあれがあるし、両者共存でいこうというのが指導者の暗黙の了解ですが、さあどうなるんでしょうかというのは私にもちょっと見えません。

決勝は滝川第二の初優勝で幕を閉じた。最後の最後まで、両チームの個性がぶつかりあった見事な戦いだった。
決してこの年代の最高の素材が集合しているわけではない。高校サッカーは明らかに過渡期だろうが、だからこそ、監督や選手たちは希有な時を過ごしているように思う。
あらためて高校サッカーの監督たちの仕事に敬意を表したい。


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