ベンゲルが残していったもの

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「それは私がグランパスで、ストイコビッチに続く二人目の外国人アタッカーを拒否した理由でもある」
「勝者のエスプリ」 アーセン・ベンゲル著 NHK出版より

「駄目よ外国人ばっかりで、これじゃ日本人のフォワードなんて育たないわよ」
週末、Jリーグのゴールシーンを見るたびに、僕の妻はそうやって怒る。
カウンター型のチームでは、特に外国人フォワードが多いように思う。フォワードが二人ともブラジル人、というチームもある。
日本人のフォワードが育たない理由は、もっと根が深い気もするが、妻の怒りももっともだ。
そういえば、かつて、日本人フォワードを育てようと考えていた監督が日本にいた。
その人は日本人ではなく、エスプリの国の人だった。スーツをびしっと着こなし、大学教授のような顔をしている男だった。
アーセン・ベンゲルは当時勝つことを知らないチーム、名古屋グランパスエイトの監督になり、結局2年間しか日本にいなかった。最後のシーズンは首位争いにチームがいたにも関わらず、シーズンが終わる前にイングランドに去ってしまった。
ベンゲルが日本を去るとき、僕はなんだか裏切られた気持ちになったのを覚えている。
もし、ベンゲルがイングランドに行かなければ、グランパスは最後の奇跡を見せて、リーグ優勝を果たしていたかもしれない。
それでも、僕はベンゲルに深く感謝している。
監督が変わるだけでチームが180度生まれ変わってしまうこと。
ストイコビッチのような不良外国人が、見違えるように回復すること。
そして、何よりも「美しいサッカー」の存在を知ったこと。
それらのことを、ベンゲルの2年間は教えてくれた。
名古屋が天皇杯に優勝したその日、国立のスタジアムに座る僕らの目の前で繰り広げられたグランパスのサッカーは、今でも僕が見た中で一番美しかった。
ストイコビッチが軽くヒールパスをした時には、自分の足が浮き立つような感覚を覚えたものだ。

「アタッカーが育たない原因に日本人フォワードの存在があげられる。それは私がグランパスで、ストイコビッチに続く二人目の外国人アタッカーを拒否した理由でもある。私は、小倉、森山、岡山にチャンスを与えるべきだと考えていた」
(中略)
「小倉、森山、岡山はストイコビッチから多くのことを学び取ることができる。しかしそこにもうひとり外国人を入れたら、ふたりは自然に組んでプレーをすることになる。それでは投資の意味がない。ただ試合に勝つことだけを考えているなら別だが、それはけっして利口なやり方とはいえない」

ベンゲルは「ただ試合に勝つことだけを考えて」いたわけではない。
それでもベンゲルのチームは強かった。
美しいサッカーをしていれば、結果はおのずと付いてくる。
ベンゲルは本気でそう信じている。
勝つことは大切だとしても、勝利の奴隷になってはいけない。サッカーを通じて、人は育っていかなければいけない。
しばらく低迷していたベンゲルのチーム、アーセナルは今年、チャンピオンズリーグのベスト4に残っている。守備のバランスが崩れていたチームは、いつの間にか、また美しいサッカーを取り戻しているように見える。時間がかかったが、彼はまたチームを再生して見せたのだ。
若手が中心になったチームで、その若手が堂々とした自身にあふれるプレーを見せている。
僕の耳には、未来の彼らの発言が聞こえている。
「僕はベンゲルに育てられた」
今のアーセナルの若手の選手たちは、間違いなくそう発言することになる。
結局、ベンゲルが一番日本のことを考えてくれていた。
少年サッカーの世界でも、勝利か育成か、ということがいつも議論になる。
いや、そうではない。
育てることと、勝つことは共存しえるのだと、教授は僕らに今でもそう語っている。
黒板の前ではなく、サッカー場で。言葉ではなく、プレイで。

コメント

  1.   より:

    感動した・・・

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