井伊直弼を大老にした黒幕は誰なのでしょうか? 安政の大獄はなぜ起こったのでしょうか?

徳川慶喜のよくある質問
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井伊直弼(いいなおすけ)が主導した安政の大獄は目を覆いたくなる酷い事件です。記録上でも死罪8名を含む118名が処罰され、御三家御三卿、大名、志士、それに朝廷までと広範囲です。
ところが、よく出てくるエピソードは、井伊直弼が大老になって、周囲が驚いたり、首をかしげてざわつく場面です。老中ではありましたが、評価は高くありませんでした。
「なんで、直弼が大老に?」となります。もし、これが意外な人事なら、この人事を主導した黒幕がいたのではないか? と考えて調べてみました。
結果的にタイトルは「釣り」になってしまいました。黒幕はいないかと調べて、茶人として一流な芸術家の井伊直弼が、なぜこんなひどいことをしたのか? 幕末にダースベイダーが生まれた要因はなんだったのか? に迫ってみました。

そいつが黒幕だ! 誰が井伊直弼を大老に任命したか?

おおうちこむ
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井伊直弼がダースベイダーなら、実はその裏に黒幕(暗黒卿シス)がいた!というのが映画の常道です。有力な黒幕は、井伊直弼を大老にした人でしょう。江戸城のシスは誰?

チャカポン直弼
チャカポン直弼

もともと名門近江の井伊家とはいえ、14男で藩主になる可能性は限りなくゼロだったのよ。それが大老にまでなったんだもん、私は選ばれた人間なの、と言いたいけど、でも確かに「なんで私が大老に?」と聞きたい夜もあるわね….

大老任命の経緯は判然としない

井伊直弼の大老就任を仕組んだ黒幕は誰なのか?と調べても、大老就任の経緯は判然としません。ここは歴史の空白地帯なので、ならばそれを埋める「物語」が進入できます。
大老は常設ではありません。前任者の超若手エリート阿部正弘、その後の堀田正睦(まさよし)も老中首座です。

井伊直弼大老任命の決定者と黒幕は?

前任者が井伊直弼を推したのでしょうか? いいえ、阿部も堀田も井伊直弼を大老候補とは思っていません。それどころか老中筆頭の堀田正睦は福井藩松平春嶽(しゅんがく)、当時は慶永(よしなが)を大老に推挙します。
この時期、堀田は日米修好通商条約調印のため、朝廷から勅許を得るために京都に行きますが、見事に失敗してしまいます。京都から江戸に戻り、この政治危機を乗り切るためには松平春嶽を大老にと13代将軍家定(いえさだ)に進言します。
井伊直弼の大老就任は1858年(安政五年)4月23日ですが、そのほんの数日前の出来事です。

おおうちこむ
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前任者さえ驚く人事なら、いったい誰が井伊直弼を大老に推した黒幕なんですか?

チャカポン直弼
チャカポン直弼

極めて明確よ。大老の任命権は将軍家定殿。上様が宣言しなければ私なんか大老になれないの

ただ、家定は障害を患い、脳性麻痺とする説もあります。家定の独断かどうかが焦点です。
家定の任命権に影響を与えられる立場から、以下の3名が有力候補です。順番に見ていきましょう。

  • 老中 松平忠固(ただかた)
  • 将軍家定本人
  • チーム大奥 家定の乳母の歌橋、実母の本寿院、篤姫指導役の瀧山など
松平忠固説

複数の歴史書が、井伊直弼を大老に推したのは、アンチ慶喜つまり南紀派のリーダー格である松平忠固であると書いています。水戸の常盤神社の資料などが根拠になっています。
その資料によれば4月22日、まさに大老就任の前日に、松平忠固が井伊直弼に「大老になってほしい」と強く進言しました。
「なんだ史実ならそれで終わりじゃん」となりますが、私はこの説は、水戸の忠固憎しの陰謀論(思い込みの噂)が記述されたものと疑っています。

大老就任後、ほどなくして井伊直弼は松平忠固を老中から罷免しています。自分を大老に推した人を、直後に罷免するのは考えにくいです。
また、忠固研究の第一人者の関良基氏は、忠固が南紀派ではなかったことを突き止めています。

おおうちこむ
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私は松平忠固を尊敬しています。類まれな経済センスを持った、裏表のないリーダーなんです。そして、慶喜ファンクラブの松平春嶽、対立する南紀派からの賄賂工作も、いずれも拒否しています。政治工作をする黒幕なんかじゃないです。

松平忠固は、米国公使ハリスとの条約交渉に集中していました。その結果、日米修好通商条約で関税20%を勝ち取っていて、これは忠固の功績です。これも関良基氏の書籍からですが、教科書などで外交に無知な幕府が結んだ不平等条約とさんざん習ってきましたが、調印時点では不平等条約ではありません。後の改正で英国によって不平等な5%に改悪されてしまいます。そんなわけで、忠固は当初、将軍後継ぎ問題は中立の立場でした。

そして、井伊直弼の大老就任直前、忠固は「慶喜擁立」で大奥を調整したようです。これを聞いて慶喜ファンクラブが大喜びした(ただし慶喜以外)、という記録さえあります。
私は条約交渉が進展した段階で、忠固は調印後を考えはじめたのではと考えています。朝廷交渉と外交を考えれば、母親が天皇の親戚で、かつ外国と対峙できる徳川慶喜は、理想的な将軍に見えたはずです。忠固は、この時点から、将軍後継は徳川慶喜という線で反対する大奥を調整しはじめた、と考えています。

にわか喜びした慶喜ファンクラブですが、井伊直弼の大老就任で一気に形勢逆転をされてしまいます。慶喜将軍がほぼ決まったと思っていたので混乱し「松平忠固に騙された!」となり、忠固を「隠れ南紀派」とレッテル貼りして陰謀説が作られました。まさか任命した家定を悪者にはできませんので、忠固を責めるしかおさまりがつかなかったのでしょう。

いずれにしろ、松平忠固は他人を騙して政治工作する人ではありません。ましてや井伊直弼とは、条約の朝廷対策の方針で完全に対立しています。井伊直弼は外交より国内事情優先、一方の忠固は外交重視で、条約調印は幕府の専権事項で勅許は不要と考えていました。
この二人の行動原理は根本から違うのです。

徳川家定説

これが物語として、もっともわかりやすく、かつ説得力があります。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」はこの説をとっていて、見事だと思いました。

ドラマの家定は、父親の徳川家慶が自分を差し置いて、「慶喜」の名前を連呼して褒めまくりましたから、慶喜憎しで慶喜ファンクラブは絶対排除したいと考えています。そこで反撃に出て、自ら井伊直弼の大老就任を決断します。
ドラマでは家定が亡くなる病床でも、井伊直弼の襟をひっぱり「いいな慶喜と水戸だけはなんとしても排除しろ」と言い残します。死ぬ間際の将軍命令です。これを遂行するのは自分しかいません。そして井伊直弼がダース・ベイダー化していきます。見事な脚本だと思います。

おおうちこむ
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ところでその家定の判断力はどうだったのでしょうか? そこが家定説の焦点です。また、それまで政治介入を控えていた家定が突然、重要人事をひっくり返すのはどうなのか? やや、疑問が残ります。

家定に仕えた小姓の証言では、家定の障害はそこまでひどくなく、十分判断力があったと書かれています。体が痙攣することや、疱瘡によるアバタ痕がひどかったため、人前に出たがりませんでした。そのため、悪い噂が多くありました。
ただ、彼の残した文書を見ても、幕府の閣僚たちの政治判断を尊重しつつ、「奥向き」つまり大奥の意向を気遣い、バランスを取ろうと腐心している人だということがわかります。
家定が判断力のないほど脳に障害があった、という説はそろそろ排除されるべきだと思います。

じゃあ、家定単独決断説でいいように思いますが、私は家定の慶喜憎しはなかったと考えています。
松平春嶽の福井藩資料に、家定自身は後継ぎに明確な意向はなく、家定自身も大奥が難色を示しているので困っている、という状況が記録されています。忠固も家定の意向が慶喜でも問題ないので、あとは大奥の調整だけ、と考えて進めていたようです。

繰り返しますが、大老人事は家定の決断で間違いありません。
ただ、私は家定の慶喜憎しはなく、バランスを取る家定が、老中の意見をひっくり返してまで、大老人事を決断した背景に、何か別の要因があると考えています。

チーム大奥説

これもかなり説得力があります。
当時家定は人前には出たがらず、乳母の歌橋と一緒にいる時間が多かったようです。
そして、実母の本寿院、篤姫指導役の瀧山など、大奥の有力者たちは水戸斉昭なりあき)が大嫌いでした。

斉昭パパが大奥のアイドルだった女性に手を出したため、最悪なセクハラ親父と憎まれました。また、斉昭は大奥の膨大な予算を削減しろ、と声高に主張していました。斉昭パパは、大奥の敵ですから、全力で息子の慶喜ファンクラブをつぶそうとしていました。当然、家定への影響力も絶大です。
家定の大老人事は、大奥の執念深い説得の結果と考えれば辻褄は合います。私は家定単独決断以上に、このチーム大奥の執念というシナリオが、一番物語として説得力があると考えていました。

しかし、家定のその他の決断を見ていくと、もちろん「奥向き」への配慮は見せつつ、政治はあくまで閣僚たちの判断を優先する姿勢が見えます。将軍の役割をきちんと考えていた人に見えるのです。
もし、そうなら政治と大奥の間に、線が引ける人だったと思います。

おおうちこむ
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もうその他の候補がいないのであれば、大奥と家定の決断ということで決着したいのですが、どうも気になるのです。

井伊直弼本人説 政治美学の追求

私自身「黒幕」に拘泥して見逃していましたが、単純に井伊直弼自ら家定を説得した可能性があるのではと考えはじめました。

これまでの説は井伊直弼はあくまで受け身で、本人もビックリの仰天人事というトーンでした。
しかし、その後の安政の大獄を見れば、かなり決断力があるキャラクターです。大老就任直後に、素早い人事通達を発令しています。ここで忠固もいったん降格されています。そうした矢継ぎ早の決断を見ても、十分心の準備があったと考えていいでしょう。受け身なキャラが豹変したとは思えないのです。

井伊直弼が権力欲と保身のためだけに安政の大獄を起こした、とも考えていません。むしろ、彼なりの政治美学の追求が根底にあったと思っています。
茶人としての極め方を見ると、美を追求する完璧主義者です。アーチストは、美を追求した自分の作品が悪く批判されると、もうとんでもなく傷つきます。
少しでも自分が極めたものを傷つけたり、脅かすものがあれば、耐えられない嫌悪で排除しようとします。そして、繊細さと弱さも併せ持ち、他人に対して極度に疑い深くなる面がありました。

おおうちこむ
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ダース・ベイダーも、フォースを極める完璧主義者が、より強くなるために、かえって自分の弱さに取り憑かれて、ダークサイドに一気に落ちていきます。余計なことですが….

危機意識から使命感を持った井伊直弼

リーダー格の忠固が慶喜擁立で調整をはじめ、一方で老中筆頭の堀田が朝廷工作に失敗したのを知ったら、これは危機的な状況です。なんとかしなければいけません。幕府のご政道を極めるのは自分だけだ、という使命感を井伊直弼が持ったとしたら?
「息子慶喜を将軍に」なんて私利私欲で凝り固まった斉昭パパは、井伊直弼から見たら、政治美学を汚す最悪の敵に見えます。
以下はまったくの私の仮説ですが、家定と井伊直弼の間で、以下のようなやりとりはあってもいいはずです。

「上様、朝廷からの勅許が得られず御公儀(幕府)は危機的状況です。その上、忠固は御政道を私欲で曲げる斉昭、その斉昭と結託した春嶽に擦り寄っています」
「確かにそうだ」
「まして春嶽は上様のことを『凡庸の中でも最も下等』などと酷評しています。春嶽を大老になど言語道断です」
「どうしたらよい?」
「上様、私自身の身など惜しくはありませんが、御公儀と徳川宗家が大事です。ここは創業以来の祖法に従い、家柄と血統重視で後継と大老をご判断ください。私は上様のために命を捧げます」

考えてみれば、井伊直弼が大老になるのはまったく不自然ではありません。近江の井伊家は越前福井の松平家よりも家格が上です。幕府の御政道を重視する守旧派から見れば、むしろ順当な人事です。

家定が井伊直弼の使命感を理解したなら、家格から井伊直弼を推すでしょう。さらに井伊家には、京都朝廷との親密な関係がありますから、その意味でも井伊直弼は適任です。
それに比べて春嶽は大奥からも評判が悪く、家定の悪口を公言していますので、そんな人事はもってのほかです。その上、堀田は数万両をつぎ込んで朝廷工作に失敗したのですから、まったく老中としての職責を果たせていません。

家定も当初は閣僚の判断優先、という君主の姿勢でした。ただ、後継問題の紛糾と孝明天皇の抵抗という危機的な状況は幕府の有事です。井伊直弼の使命感を受け止めて、将軍として決断する時だと判断します。
「家柄からも人物からも井伊掃部頭(かもんのかみ)を差し置いて、越前松平にする理由がない。近江井伊直弼に大老を申し付ける」
井伊直弼の大老就任の決断を堀田に伝えます。堀田は驚愕します。
同時に大老になった井伊直弼の提案を受けて「後継問題も原則に立ち返って血統重視で行こう」と、紀伊の慶福(よしとみ)様=家茂(いえもち)にするよう命じます。期待値マックスだった、一橋派が驚愕します。

起こるべくして起きた井伊直弼のダースベイダー化

チャカポン直弼
チャカポン直弼

私の思いが通じて家定様に決断していただけた。私は将軍家定様に命を捧げるつもりだ。

幕府の御政道を正せるものはもう私しかいない。
私利私欲から朝廷と結託する水戸とその一派は、徹底的に排除する!

井伊直弼の功績として、彼が開国主義者で条約調印したことを挙げる場合がありますが、井伊直弼は滋賀県で京都朝廷に近い関係があり、朝廷の承認は絶対に必要と考えていました。
しかし、ハリスとの交渉もこれ以上遅らせるわけにはいきません。「とにかく遅らせろ。本当に止むを得ない場合だけ調印していい」と現場に命令しますが、直弼以外は、もうこれ以上伸ばす必要はないと判断して後半だけ聞いて調印してしまいます。これで直弼は政権内で完全に孤立してしまいます。
その後、井伊直弼は、無勅許調印を主導したとして、堀田正睦と松平忠固を家定命令で罷免します。ここで家定は、直弼の意向を優先しつつ、忠固を本当に辞めさせていいか、差し戻してバランスを取ろうとしています。

朝廷と攘夷派と一橋派の非難が激しくなり、この二人を罷免すれば、もう大老の自分が傷つくわけにはいきません。ここで大老が間違いを認めたりしたら、家定と進めている御政道は完全に崩れてしまいます。
孤立した井伊直弼は、水戸が裏で朝廷を操作する陰謀を進めているんだ、とどんどん疑いが深まっていきます。
いよいよ直弼の弱さからくる横暴さが出てきます。自分は悪くない、悪いのは….
ダースベイダーが登場しますが、彼なりに政治美学を追求した結果です。起こるべくして起こったこと……

余談 井伊直弼と堀田正睦の友情ストーリー

ほんと余計な話なんですが、井伊直弼と堀田正睦はラブラブです。新人で何かと未熟な井伊直弼を、堀田はずっとメンター社員として助けてきました。なので井伊直弼は堀田LOVEです。
ただ、朝廷の勅許をもらえない失態が明らかになると、将軍家定が堀田は辞めさせるべき、と主張します。井伊直弼はこれを何度も押し戻して抵抗しますが限界がありました。
「自分が大老になれば堀田を守れる」と井伊直弼の大老就任の20%ぐらいは、堀田を守るためだったかもしれません。将軍命令なので堀田を処罰しつつ、復帰可能な程度に軽く留めています。この二人の愛のストーリーは、幕末のサイドストーリーとして、短編を書いてもいいんではないかと思ったり。

まとめの考察

すいません、タイトルは完全に釣りになってしまいました。謹んでお詫びします。
暗黒卿シスみたいな黒幕なんかいなくて、井伊直弼自身の御政道に対する使命感を、家定が受け止め、大奥もそれでばっちりです。守旧派の御政道から見れば極めて順当人事という結論でした。

そして、井伊直弼の御政道に対する使命感が半端ないので、家定と幕府を守るため安政の大獄に突き進む、という結論です。
あえて言えば、金属疲労した幕府という入れ物そのものが「黒い幕」として作用したと言えます。陰謀論の実態は、特に日本では、多くの場合こんな展開だろうと思います。
シスやフリーメーソンみたいな黒幕が世界を操っているという陰謀論は、私も大好物なんですが、実際はどうなんでしょう。

ケイキ君
ケイキ君

いや、いいんだけど、私は関係ないんだけどな。将軍になりたがってないのに、みんな私を巡って喧嘩はじめちゃうし、私は家定のことも悪く言ってないし、なんでこうなるんだ?

いやー、ホントですよね。これだけ優秀な人たちが、それぞれの決断をしていく中で、結局最悪の方向に行ってしまいました。そしてなぜか20代の慶喜を巡って、渦が変な方に回っていきます。
幕末って、だいたいケイキ君が渦の中心になって、最悪の方向に進むという連続です。なぜかケイキ君が巻き添えを食ってしまうのです。その流れ、すべてはここからはじまっています。
ホント歴史を巻き戻したいです。

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