慶喜は将軍になりたかったのですか? その1 家慶の後継編

徳川慶喜のよくある質問
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「慶喜は将軍になりたくなかったのか?」「いや、本心はなりたかったのだ」という議論は、これまで何度も繰り返しされてきました。
ただ、多くは「将軍になるのは当然」という前提で、「自分から言わずに周囲の動向を見ていた」または「本心を出さないのでわかりにくかった」と書いているように見えます。最後は将軍になってしまう人なので、どうしてもそこから逆算して解釈をしてしまいがちです。

おおうちこむ
おおうちこむ

でも慶喜の記録を見ても将軍になりたい、とは一言も言ってませんね。

それどころか、将軍にはなりたくない、と言ったという記録ばかりですよね。

ケイキ君
ケイキ君

いろいろ分析するのは勝手だけど、たまには素直に私の言ったことを受け取ってほしいよ。

歴史家だけじゃなく、幕末のやつらも、私のやったことに必ず裏があると考えるんだ。

私は、自分で書いた小説「ケイキ君と一緒!」で、「ぜんぜん将軍になりたくなかった」という慶喜を書いています。その後もこの疑問を何度も考えて来ましたが、この前提は今のところ変えていません。

そうはいっても慶喜も人間ですし、年齢や立場によって気持ちが揺れていきます。
ここでは、残っている文書や発言から、慶喜の「気持ちの揺れ」に踏み込んで行きたいと思います。

慶喜が将軍になれたタイミングは3.5回

徳川慶喜は15代最後の将軍になります。それまでに、慶喜が将軍になるタイミングは、全部で3.5回ありました。13年の間に、こんなに将軍後継ぎのお声がかかる人は世界にいません。それだけでもとんでもなく面白い運命です。
「宝くじにあたるけどどうする?」と神様に聞かれて、2.5回断って、1回受け取る感じです。打率は2割9分と考えればよい打率ですが、一方で3.5度目の正直で、とうとう受けざるを得なかったと考えると、不幸な人になります。

さて、その3.5回は以下です。

  • 家慶(いえよし)の後継ぎ 13代将軍になるチャンス – (1)
  • 家定(いえさだ)の後継ぎ 14代将軍になるチャンス – (2)
  • 家茂(いえもち)辞任騒ぎ 「もう嫌だ。慶喜がやればいいじゃん」 – (2.5)
  • 家茂の後継ぎ 15代将軍になります – (3.5)

0.5回ってなんだよ?という話ですが、この0.5回は将軍家茂が追い詰められて、「もう将軍はできない!」とパニックになった時です。家茂自ら「あとはミカドと親しい慶喜がやって」と指名する騒動が起こります。正式な後継ぎのプロセスではないので、0.5回としています。
今回は、このうちの最初の回を見ていきます。残りはまた後ほど。

家慶の後継ぎ 13代将軍

家慶の後継ぎの噂が駆け巡る
おおうちこむ
おおうちこむ

12代将軍家慶は、かなりケイキ君を気に入ったみたいですね。将軍自ら、慶喜のところに何度も足を運んだらしいじゃないですか?

ケイキ君
ケイキ君

一度は「死んだ息子にそっくりだ」と言われたよ。そんなこと言われても、会ったことないし、死んだ人に比較されても気味が悪いだけなんだけどね。

息子の家定が病弱だったので周囲も「次は慶喜か?」とざわざわします。老中首座だった阿部正弘の慶喜に対する評価も高いです。この少し前には、薩摩藩の島津斉彬(なりあきら)も慶喜と面談して、高く評価しています。そんな周囲の高い評価もあれば、家慶もますます「次は家定より慶喜」となります。
慶喜のお父さんの斉昭パパも、「もしかするともしかするぞ!」と素振りをはじめます。いよいよ水戸家から念願の将軍誕生どあー! と密かに燃えています。

家慶が亡くなるのが1853いやでござんす年、まさにペリー来航の年です。この時の慶喜は17歳です。彼の耳にも「慶喜が次の将軍か?」と言う噂が耳に入ってきます。

斉昭パパに「将軍嫌です」と手紙を書く

徳川慶喜は、準備運動をはじめた斉昭パパに、「余計なことしないで」と手紙を書きます。

天下を取るなんて気骨が折れて大変です。気骨が折れるから嫌って言うわけじゃないんですけど、天下取って仕損じたら、結局天下取らないほうがよかった、ということになります。かわりに大名の養子の口なんかあればそちらの方がいいですからお願いします。

徳川慶喜公殿よりおおうちこむが意訳

さて、この文章が面白いです。
A)将軍は大変です
B)失敗したら元も子もないでしょ?
C)だったら大名の養子でよくね?
という構造です。

この手紙から、「プライドが高く、少しでも失敗を恐れる人」「幕府の滅亡を見越したクールで貧乏くじなんか引きたくないと考えた小賢しい人」と慶喜を分析する歴史書がいくつかありました。
「将軍は名誉ある地位だからやるべき」という前提がこれらの論調にはあります。変なわがまま言うなよ、と言いたいのだろうと思います。

私は以下のように読みました。
A’)将軍なんて面倒くさいだけです(かなり嫌がっている)
B’)将軍は名誉あるかもしれませんが失敗しますよ(全然適性もないし、やる気もわかないので)
C’)将軍に推すのあきらめてもらえませんか?(心底やめてほしい)
こう言っているように見えます。

宛先の父親へのメッセージは?

慶喜のこの手紙の宛先は実の父親です。斉昭パパは、地位とプライドが高く、教育パパで、名誉欲の高い、超面倒臭い人です。その人にワザワザ書いていますので、かなり本気でやめてほしい、と書いています。17歳なりにプライドの高い父親を説得しようと試みたのかもしれません。そうなると以下のニュアンスでしょうか?

A”)幕府も大奥も面倒くさそうで、僕やる気がないんですよ
B”)やる気ないのでお父さんの期待通りにできないし、そうしてらお父さんも困るでしょ?
C”)だから将軍にするのはあきらめて

説得というか、「やりたくないのに、もし将軍なんかに推したら、オレ失敗するからね」という警告あるいは脅しのつもりだったのかもしれませんね。

将軍の何を「仕損じたら」と思ったのか?

この手紙の核は「仕損じたら」ですね。これが断る理由になっています。
いったい何を失敗するんですかね?
一つ言えるのは、慶喜は「将軍になりたい」と思って考えているわけではない、ということです。将軍になった「ミッション」、つまり何をするかが決まっています。
父親に「仕損じたら」と言えばわかる前提だとすると、これは斉昭パパが望んでいた幕府改革、特に大奥の改革だと推察できます。

水戸藩は江戸に近い御三家という立場で、幕府に物申す文化がありました。そんな議論を聞いていたら、改革はミッションとして強く意識したと思います。

でも、ミッションは達成できないよ、だから諦めてね、と言っています。多分、慶喜の中では即断だったと思います。悩んでいない。改革なんて自分にはできないよと判断しています。
一つ大事なのは、はじめから座って偉そうにしてるだけの将軍になるつもりは、まったくなかったわけです。自分の名誉欲を実現するための「将軍」は慶喜の中にありません。

なぜ、慶喜はそれほど嫌がったのか?

では、なぜ、それほど将軍とそのミッションが嫌だったのか?

まず、将軍自身が魅力的に見えなかったのでしょう。
家慶は何度も慶喜の元に通いますが、その度に家慶が大声で謡をうたって、慶喜がそれに合わせて舞を舞います。そのために、この頃の慶喜は踊りの練習に相当時間を使って、体のあちこちが痛くなるレベルです。国家をどうするとか、そんな話はなかったと思われます。
「なんでこんなことやってるんだ」「将軍何やってんだよ」となりますよ。

加えて大奥を見てしまいます。大奥で年上の派手で贅沢な女性たちが見せる権力争いと、化粧の異様な匂いで、慶喜は「ダメだこりゃ」となります。
おまけに慶喜は「僕は宮家(有栖川家)の孫なんです」と言って、大奥の女性たちに笑われてしまいます。デパートの化粧品売り場の女性たちに取り囲まれて、おまけに笑われたら、そのデパート二度といきたくないです。
将軍自身も大奥の女性たちに囲まれていますし、幕府の偉い老中たちさえ、相当大奥に気をつかっているのを見てしまいます。
こんなん、とても無理となります。

この将軍周辺の風景を見た慶喜は、
「こんなことにオレの時間とエネルギー使いたくないよ」
となります。

だから、二つ目の(B)「仕損じたら」は、「大奥改革なんて絶対うまくできるわけないよ」という確信てす。嫌悪感も強いです。

幕府をどうみていたか?

では、幕府をどのくらいダメだと思っていたのでしょうか?
明治になってからの証言ですが、「幕府に衰退の兆しを見ていた」と語っています(昔夢会筆記)。
ただ、幕府滅亡後明治時代からの振り返りなので、当時の慶喜が幕府に「もう先がない」と見切りをつけていた、と言うのは言い過ぎでしょう。あくまで「ダメになっていく兆し」が見えていて、なんらかの改革は必要と思ったのでしょう。
この次の将軍後見職では、幕府の立場で奮闘する姿も見せています。幕府の一員という意識はあったと思います。

この時点の慶喜は、あくまで「自分」が成功イメージを描けないということだと思います。そんな場所で、価値があると思えない相手に時間とエネルギーを使っても、絶対うまくいかない。嫌なことをやったら失敗するのはかなり確実だと慶喜は考えています。

おおうちこむ
おおうちこむ

まあ、でもケイキ君は、いつも斉昭パパの説得には失敗しますよね?

ケイキ君
ケイキ君

正直、父上はもっともやりにくい相手だな。

このあとの家定殿の後継の際には、さらに苦労させられるよ。

この手紙を読んだ斉昭パパは、息子が将軍になることが幸せで、オレの行った通りに改革させるんだと疑いません。斉昭パパ自身が将軍になったつもりかもしれません。そんな斉昭パパにすれば「なにをぐだぐだ言ってるんだ?」となるでしょう。慶喜の意図は汲み取ってもらえません。
親子関係は難しいですね。父親が息子の将来に首を突っ込んでも、本人にやる気がなければ、上手く行かない方が多いんだと思います。

まとめの考察

一回目の将軍後継ぎの打席は、「将軍なんてなりたくない」が本音で間違いないと思います。
繰り返しになりますが、「結局将軍になった」「将軍という偉い位置には誰でもなりたい」と決めつけて見ないことが大事だと思います。
後継ぎ候補と言われても、ただ座っているだけの将軍も、改革する将軍も、どちらにしてもありえないです、という手紙です。
慶喜は失敗を恐れたのではなく、ひどい場所だし、やる気がないので間違いなく失敗する前提なんでしょう。将軍も大奥も嫌で、そのポジションが魅力的に見えず、モーチベーションが湧かなかったのでしょう。

それにしても、将軍職を「嫌だから断る」と言えちゃう人は、当時かなりびっくりされただろうと思います。慶喜がわかりにくいのは「将軍」さえも、フラットに見てしまうところです。名誉欲が感じられないのも理解できないポイントで、かつ魅力的なとろこです。
社長がうらやましい、美女に囲まれた大奥がうらやましい、と思う一般ピープルにすれば、理解不能です。

最終的に「その1」の家慶の後継ぎは、噂だけでそれほど異論が出ずに、あっさり息子の家定に決まります。慶喜のためにはよかったですね。

おおうちこむ
おおうちこむ

でも、このあと5年で病弱な家定が亡くなってしまいます。その亡くなる前から、後継ぎを持つ可能性がない家定の次の将軍を誰にするか、が話題に昇りはじめます。

しかーし! 病弱で後継ぎの見込めない家定が将軍になると、やはり次の将軍は慶喜にすべきだ、という気運が再び、前よりもすごい勢いで、どんどん盛り上がってしまいます。
さすがに、この次の将軍後継問題で、慶喜の気持ちも揺れます。

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