ゾラが監督に向いているとは思いもしなかった サッカーの言葉メモ

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「サッカーの理念を伝える手段は言葉ではないということ。(中略)すべてはトレーニングを媒介にして伝えるべきだ。選手はトレーニングを通じて僕がやろうとしているサッカーを理解し、それを体で覚えるようになる。これが僕の監督としての哲学さ」
ワールドサッカーキング 2009年1月22日 ジャンフランコゾラ監督インタビュー

僕がチェルシーファンになったきっかけは、そこにゾラがいたからだ。
今でもチェルシーは好きなチームだが、アブラモビッチが来てからの変容ぶりは、若干複雑な気分だ。(ちなみにアブラモビッチもゾラが大好きだったようだ)
ゾラは今でもチェルシーのサポーターにとって、大きな存在だ。イタリア人なのに、イングランドに愛され続ける選手。
その存在の大きさは、サポーターにとってだけではなく、ジョン・テリーにとってもそうらしい。先日もプレミアの中継で、テリーの背番号(26番)が、ゾラ(25番)に一歩でも近づくための番号だ、というエピソードを倉敷さんが披露していた。
実を言うと、ゾラがウェストハムの監督になるという意外な決定を聞いたとき、かなり複雑な気分だった。僕はゾラが監督として、うまくいくとは思っていなかった。
「名選手必ずしも、名監督ならず」
ファンタジスタで凄いプレーができる選手は、チームをマネージして作り上げるなんて、うまくできないだろうと思っていた。
ご存知のように、プレミアの監督寿命は短く、ポールインスのように、現役時代に有名だった選手でも容赦なく首を切られてしまう。
でも、ゾラは大丈夫。たとえゾラが監督として失敗しても、彼の栄光は少しも傷つくことはない。ゾラは、いつまでもゾラだ。
そんな勝手で弱気な言い訳を用意して、なかなか勝てないウェストハムを見ていたが、しかし予想ははずれた。
ゾラのウェストハムは、勝利を重ねてきている。それもチームの伝統に合わせて、若手を起用して、若手の成長とチームの勝利の両方を勝ち取っている。
ゾラの監督ぶりってどんなだろうか? それは想像もできない。
荒々しい言葉で、選手を鼓舞する、熱血監督じゃないよね。
緻密な戦術を選手に押しつけるタイプでもなさそうだ。
それから、今でも、ウェストハムのどの選手よりも、うまいのは間違いない。
ゾラは多くを語らず、プレイやトレーニングで、選手に理念を植え付けていく。
ゾラのプレイもそうだったけど、なるほど、サッカーは言葉じゃ表現できないものな。


チェルシー カルーの得点でウェストハムを下す(AFPBB News 2009年4月26日)
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