「もし、ゴールが奪えれば、何かが変わる。」“If we can score it will be different.”ラファエル・ベニテス(リバプール監督) ハーフタイムの言葉
「ハーフタイムには、残りの45分をどう持たせようかと本気で考えていました。」
スカパー解説の粕谷さん 後日談
「まだ何があるかわからないわよ。サッカーなんだから」ハーフタイム 3-0のハイライトを見た妻のコメント
あまり正確な引用ではないが、リバプールの勝利を伝えるニュースの記事にこんな出だしがあった。
「ジュリアロバーツとだって結婚できる」
リバプールの勝利を見た後では、不可能なんて何にもないと信じることができる・・・・
それが、もっとも僕らの気分をよく表しているかもしれない。
一言で言えば、「ありえねー!」
2005年 ヨーロッパチャンピオンズリーグの決勝 ACミラン対リバプール
試合前の、メディアの論調は、どちらが勝つにしても、1対0か、スコアレスドローの上のPK戦、というきわめてイタリア的な展開を予想するものばかりだった。(リバプールの監督 ベニテスは、スペイン人ながら、徹底的に守ってカウンターというイタリア的な戦い方をすることが多い)
リバプールの監督、ベニテス自身も1対0を予想していた。
しかし、その結果は、よくご存知のように、3対3の上でのPK戦。リバプールの勝利である。
前半にACミランは、キャプテン、マルディーニの開始1分のゴールを皮切りに、3点を奪って、誰もが一方的な勝利を確信した。ところが、今度は、後半のたった6分間でリバプールが3点を奪って、同点にしてしまう。
あの試合の後では、ゲームの分析とか、ベニテスの采配とか、勝利の要因のあらゆる分析は、意味をなさない。
ベニテスでさえ、こういった結果を予想してはいないだろう。
「われわれは、よく戦った。気が狂ったような6分間(Six minutes of madness)をのぞけばだ。あの時間については、説明のしようがない」
ACミランの監督 アンチェロッティは、このゲームを反省することができないだろう。
ただ、その中でも「サッカーだから何でも起こりえる」と思っていた人々がいた。
私の妻も、その一人だ。
「確かに」と僕は答えた。
僕ら夫婦は、サッカーファンになったのは、新しい部類に属するだろう。
最初に見た代表の試合は、ドーハの悲劇だ。
その理不尽な結果と、奥深くをえぐるような苦痛は、味わったことのない感覚だった。
それから、僕らは、何度もスタジアムに足を運び続ける。
そして、サッカーの神様のきまぐれが、ドーハだけでないことを、肌で知っていく。
だから、サッカーを見ていて、予測を裏切られることがうれしくもある。
しかし、なんだな、今回は、その裏切りの中では、かなり最高級な部類に属するな。
あれから、僕は決勝のビデオを、3度見直している。
そのたびに、あの6分間の展開を見ると、笑いが止まらなくなる。人間は、不思議なことに、わけのわからないものを見ると、自然と笑ってしまうものらしい。
ありえないだろ! とそのたびに、僕は誰ともなくつっこむ。
いや、つっこんでいる相手は、決まっている。
サッカーの神様、という名前のわけのわからない、そいつにだ。
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