岡田武史 お金で買えない感動を生む仕事

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「サポーターはチームとともに闘うなかで 感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う。」 Sports Yeah! 2004年8月27日-9月9日号 岡田武史インタビューより

Jリーグが開幕した最初、僕は「ファン」と「サポーター」の区別が無かった。普段使っている言葉を、格好良く言い換えたのだろう、と思っていた。
野球や相撲、日本の伝統的なプロスポーツにサポーターはいない。ファンがいるだけだ。
しかし、徐々に彼らサポーターの行動を見ているうちに、もしかすると「浦和レッズ ファン」と「浦和レッズ サポーター」とは違うのではないか、とそんな気がしはじめた。
サポーターは、チームに対して発言権があるようだ。
最近はそういった風景も、当たり前になってきたが、チームとサポーターが同じ席上で、チームのあるべき姿について議論する。時にはチームがサポーターに謝罪する。
株券を持っているわけでもないのに、サポーターはチームの一員のように振る舞う。「へえ」という不思議な感じを持っていたのは、僕だけではないはずだ。
もう昔の話になるが、横浜フリューゲルスが解散して、マリノスに合併する、という歴史的な事件があった。フリューゲルスは、財政的に存続が危うくなったので、同じ横浜だし、企業と同じようにチームも合併しよう、と提案した。企業の普通の論理は、けれどもサポーターたちからは猛反発を食らう。
このとき、サポーターは、署名活動を展開し、サッカー協会に押し寄せ、スポンサーの会社につめより、何とかしてフリューゲルスを潰すまいと行動した。
そして彼らは、横浜FCという新しいチームを立ち上げる。
当時僕は、「過激な」フリューゲルスサポーターの人々と会って、「横浜FCの100日」という文章を雑誌に書いた。
「自分たちのサッカーチームを作る」
何でそんなことまでするのだろうという、これは皮肉でも、疑問でも、違和感でもなくて、純粋にその情熱の源泉を知りたかった。
そのインタビューを通じて、僕の中で「サポーター」という存在が、はっきりとした形になった。
「ファン」とは違う。
テレビで観戦し、入場料を払ってスタジアムに足を運び、チームのグッズで身を固め、好きなチームの勝利のために応援する。ファンと同じように見えて、彼らは「ファン」とは、決定的に違っていた。
サポーターは、ずっとフリューゲルスを「自分たちのチーム」と考えて行動をしていた。自分たちのチームがなくなるなら、自分たちのチームを作る。この単純な理論が、彼らの横浜FCを立ち上げる行動の背景にあった。
そうなのか、と納得した後、同時に、それはひょっとして当たり前なのかも、ということを考え始めた。
まったくレベルの違う話だが、つい先日、イギリス人の知人とロンドンの博物館について話をした。イギリス人といっても、日本人より日本人っぽい男なのだが、「日本人は美術館や博物館の運営が下手ですね」という話になった。
イギリスに行った人は知っているだろうが、イギリスで博物館や美術館は基本的に「無料」だ。博物館の入り口には、寄付のための大きな箱が置いてある。博物館は、自治体の費用と寄付でまかなわれている。財政的にはうまく行っていないところも多いが、その場所は、なにしろ人々に愛されている。
なぜ博物館や美術館を無料にするか、といえば、そのほうが人々に愛されるからであり、なぜ寄付をするかといえば、いつまでも大切な場所であってほしいからだ。
「そう。イギリス人は、美術館や博物館を自分たちのものだ、と思っているんですね」
僕はしばし考え込んだ。
公共のもの、地域のものだから、それを自分たちのものと考える。いや、そうではなく、それが自分たちにとって大切なものだから、自分たちのものと考えサポートする。
それは当たり前のことです、と彼は行間にそう言っていた。
そういえば、イギリスのサッカースタジアムに足を運ぶ人々も、根底の意識は同じだという気がする。
この場所に、自分を感動させてくれるものがある。ずっと続いてほしい愛すべきものがある。だから、自分たちのものとしてサポートをする。
しかし、こんなに長い文章で「サポーター」を語らなくても、聡明な岡田監督が一言で、サポーターとは何かを言っている。

「そこがファンとサポーターの違いですよ。サポーターはチームとともに闘うなかで感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う。経済的に潤った現代では、感動をおカネで買えるようになった。けど、おカネでは買えない感動をJリーグは与えられるようとしているし、それを多くの人々が求めてもいるんだと思いますよ」

その聡明な岡田監督は、先日、横浜Fマリノスの監督を辞任した。
彼には、勝利と敗北がいつも背中合わせで寄り添う。日本のサッカーの節目にいて、必ず思い出深いゲームが重なる。
岡田武史の仕事、サッカーの監督の仕事はいったい何だろう?
それは、お金にならない感動を生み出す仕事なのかもしれない。
少なくとも今までの岡田武史の仕事はそうだった。
次に、岡田武史は、何に向かって動き出すのだろう?
その答えは、日本という国境を越えた場所にあるような気がする。
いずれにしろ、じっくりとまたこの男の次の行動を待ちたい。

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