優れたチーム、優れたプレーヤーは自分たちのテンポを敵に押し付ける。「ロイ・キーン 魂のフットボールライフ」より
人それぞれ恐いものはいろいろあるだろうが、僕が恐いと思っているものの一つに「日常」がある。「日常」が恐いなんて、不思議な言い方に聞こえるかもしれないが、変えられない「日常」はとても恐い。
ニュースを賑わす偽装や犯罪の多くも、発覚してみると「なんでそんなバカなことを?」と思うわけだが、その人にとっては、たとえばビルの設計書を偽装することが、「日常」になってしまったわけだ。
日々続いていることを疑問に思わずに、あるいは、疑問に思っていても、そのままにしてしまう。外から見ると絶対におかしいことが、「日常」の内側にいると、そのまま毎日続いていってしまう。頭のいい人たちなのに、わかっていても、はまってしまう。日常の恐さは尋常ではない。
偽装や犯罪とはレベルが違うが、ジーコジャパンも振り返ってみれば、本当はおかしいと思っていたのに、協会や日本代表という「日常」を、誰も変えることができなかった。あの敗戦は、きっとそんな結果だったように思う。
ロイ・キーンは、「日常」を内側から壊すことができる数少ない人物の一人だ。それが才能なのか性分なのかは別にして、ロイキーンはサッカー選手としての「日常」を、それこそバコバコに壊していく。
ロイ・キーンは、アイルランド出身のサッカー選手で、マンチェスターユナイテッドのキャプテンとして、不動の地位を築いた。カントナ、ベッカムやギグスといった人々と一緒にプレイして、マンチェスターユナイテッドの黄金時代を引っ張った人物だ。
そのロイ・キーンは、2002年の日韓ワールドカップ直前に、思いっきり「日常」を壊してしまった。アイルランド代表の中心選手となるはずだったが、お粗末な準備状況に怒りを抑えきれず、サイパンで合宿しているチームの席を蹴って、合宿途中で帰ってしまった。
(ロイキーンに言わせれば)アイルランド気質から来る伝統で、アイルランドサッカー協会の、代表チームの準備は、いつも手抜き状態だったらしい。
ロイ・キーンとしては、日韓ワールドカップで準備不足が起きないように、事前に監督とじっくり話し合ったつもりだった。しかし、いざ蓋をあけてみると、代表合宿も遠いサイパンで行われ、怪我しやすい硬いコチコチのグラウンドが用意されていた。コンディション作りに大切な食事もいい加減で、練習メニューも気合が感じられなかった。ワールドカップに本気で臨むチームとしてはあまりにお粗末な状況だったようだ。
ロイ・キーンにとっては、年齢的に最後かもしれないワールドカップだったから、出場したい気持ちは誰よりも強かった。ここで文句を公に言ってしまうことは、協会や監督と確執が生まれて、代表から降ろされる事態になるかもしれない。そんな損な役回りはやめて、このまま我慢しておけばいい、と一度は考える。
しかし結局、抑えきれずに、監督と喧嘩をしてしまう。チームや監督も、日常を壊そうとするロイ・キーンをはずそうと考えていた節もあったようだ。
当時「ロイキーン アイルランド代表辞退」というニュースは、国境を越えて日本にいるサッカーファンの僕にも届いた。ロイ・キーンがいなくなってアイルランドチームは大丈夫か、という心配と、ワールドカップ直前の代表チームという日常を蹴っ飛ばす男がいるんだ、という驚きが、バターと醤油をまぜたような感じで後味悪く僕の中に残ったのを覚えている。
「日常」を壊すのがいかに大変で、大きな代償が必要か、そのことをロイ・キーンの行動は示している。
ロイキーンは、サッカー選手を引退して、今シーズンから、イングランド2部のサンダーランドで監督をはじめた。
マンチェスターユナイテッドのファーガソン監督は、自分の後継者として「ロイキーン監督」を考えている、と発言していた。ロイキーンがサンダーランドでどんな采配を揮うのか、皆が注目している。
ロイキーンはいい監督になるだろうか? 喧嘩っ早くて、ラフプレイが多かったそんな選手が、果たして選手やオーナーとうまくやっていけるのだろうか? 多くの人は冷ややかに見ているかもしれない。
それでも、僕はロイ・キーンはきっといい監督になる、とそう思っている。
ロイキーンが「日常」を壊す力を持っている、その能力が監督という職業に必要だと思うからだ。
サッカーの監督は、突き詰めて言えば、現状維持を求めてはいけない職業の一つだ、と僕は思う。つまり「日常」に甘んじてはいけない職業だ。
新しく監督についたら、結果を出すために、チームの意識を変えなければならない。途中で、チームが低迷した時は、効果的にその負のサイクルから脱却しないといけない。
現状維持に流れやすいチームのリズムを変えて、勝利のサイクルに引き込んでいかなければいけない。
そういえば、日本代表の監督になった熊おじさんも、積極的に「日本代表という日常」を壊しているように見える。熊おじさんの行動は、選手や協会だけでなく、メディアと僕たちの意識も、リセットする効果をもたらしている。
代表監督の仕事は日常を壊すことさ、と熊おじさんは言っているのかもしれない。
選手時代のロイ・キーンのプレイを振り返ると、彼の仕事は、90分という限られた時間で、効果的にチームを動かすことだった。フィールドの上で、未然にピンチを防ぎ、気の抜けたプレイをした仲間を叱り飛ばす。たとえリードしていても、引き分けに陥らないように引き締め、相手がいい気にならないようにタックルで忠告する。
フットボールのゲームは、「漫然と過ぎてしまう90分という日常」だともいえる。勝つためのリズムを作ることは、ある意味、流されそうになるリズムを壊して、自分たちのリズムに変えていくことなのだ。
「私のフットボール人生で最も重要な進歩は、試合のテンポに対する認識がどんどん鋭くなっていったことだ。試合は浮き沈みするものであり、そのリズムは絶えず変化する。プレーヤーは、変化に常に対応しなければならない。優れたチームは、優れたプレーヤーは自分たちのテンポを敵に押し付ける。(中略)あるいは、誰かが警鐘を鳴らし、厳しい叱責や激励の言葉をかけるべき瞬間も、試合中にはあるものなのだ」
日常を壊すこと。
それが、よいマネージメントの条件なんだな、とそんな風に考える。
コメント
パサレラ、マテウス、バレージ、ドゥンガ、デシャン、カーン・・。
そして、ロイ・キーン・・。
私の好きな闘将と呼ばれる方々だ。恐らく24時間ずっと勝つことしか考えてないんじゃないかと思う。どんな遊びでも負けを嫌うでしょう。
彼らのような選手がチームにもたらす影響ははかり知れない。彼らの所属したチームには必ず彼らのDNAが残る。プロとしての模範像をピッチ上やクラブハウス、そして私生活に渡って見せ続ける。
最近こんな選手が世界をみても少ないと思うのは、過去を美化し過ぎなのでしょうか。
キーンは最初で最後となろうWC前に、チームを思い行動にでた。
結果としてはベスト16にアイルランドは残る事ができ、成功に近かったと思う。
しかし、キーンがいればと誰もが思っただろうし、何より本人が一番寂しかったと思う。
キーンは自身はどう思っていたのか・・。
結果的に自分の行為は間違っていなかったと思っているのか、チームを考えての反発だったのにチームに残ってくれとのチームメイトからの声がなく監督も続投になってしまった事を残念に思っているのか・・。
これからの彼の監督としての信念が選手時代と変わらなければ答えがみえてくる気がします。
来シーズンのプレミアが楽しみです!!
キーンにとっても、プレミアでの監督は、また一段難しい仕事でしょう。
ロイキーンがベンチで叫んでいる姿、腕組みをしている姿、、、
ロイキーンカメラで写してほしい気もします。