ジダンの頭突きとアジアを闘う僕らの距離

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(フランスの連中は)コスモポリタンを気取りつつ、4年に一度、振り子は大きくナショナリストに振れる。(中略)それにしても僕たち日本人はどんな振り子を持っているのだろうか?
武智幸徳「サッカーという至福」日本経済新聞社

フランス代表がドイツワールドカップで決勝進出を決めた夜、パリはちょっとした騒ぎだったと言う。サッカーにまったく興味のない僕の親友が、たまたまその夜タクシーでシャンゼリゼを通っていた。
騒ぎにおびえるタクシーの運転手に教えられて、ようやくサッカーの勝利がこの騒ぎの原因だと合点がいった。そしてまずい、と後悔した。
車を威嚇するように横切る人々、タクシーの窓をたたく連中、車の窓に顔を押し付ける男、夜空にはためく国旗と男たちの右手に握られたワインのビン。
仕事場からホテルまでの短い距離の間、正直、生きている心地がしなかった、という。
次の日、親友はとんでもない光景を目にする。博物館か記念館のような歴史的な建物が、巨大なフランス国旗にすっぽりと覆われていた、というのだ。
セーヌ川沿いの建物だったというから、もしかしたら、ナポレオンかフランス革命か、彼らの歴史に深く根ざした建造物なのかもしれない。
そんなナショナリズムの表現の仕方もあるのか、と思う。
そして、ジダンが頭突きをした次の日、同じフランス人が、「サッカーってなんだっけ?」という顔をして、日常を過ごしていた、というのだ。
もちろんその建物を覆っていた国旗は、跡形もなく消えていたという。
昨晩、散っていく桜を見ながら、その話を思い出していた。
そして、ふとその国旗を片付ける男たちのことを想像しておかしくなった。
シャンゼリゼに出て一緒にバカ騒ぎをすればよいのに、わざわざ巨大な国旗をどこからか、出してきて、ラ・マルセーユズを歌いながらハードワークをこなし、建物にかぶせる。
そして、ジダンの頭突きにショックを受けた瞬間、「片付けなきゃ」と言って、出かけていき、恐らく何も歌わずに丁寧に国旗をしまいこむ。

フランスがワールドカップに優勝した際の、冷笑的と言われるフランス人のあの愛国的バカ騒ぎの群れに身を置いた者としては、「この連中は〔クラブ=都市=市場〕と〔代表チーム=国家=国益〕の両方をうまく使い分けて楽しむ気じゃないか」というのが実感である。コスモポリタンを気取りつつ、4年に一度、振り子は大きくナショナリストに振れる。ボーダーレスな世界を受け入れながら、代表チームを愛することもやめない

僕の中で、フランス人は、そういう人々だ。
つまりジダンの頭突きの前後で、国旗を片付ける男たちだ。
普段は仕舞い込んでいるナショナリズムを、4年に一度、引き出しの奥から出してきて、通りの上で爆発させては、さっと片付ける。
僕はJリーグが好きだ。この場所はとても素敵だと思う。
でも、やっぱり世界と戦いたいよな、とそう思うときがある。もちろん、日本代表という取って置きのチームがあるが、世界と本気で闘える日には、まだ少しだけ遠い。
ヨーロッパのサッカーは、国境がどんどんなくなってきて、イングランドのチームがフランス人ばかり、というところまで来ている。それでも、ワールドカップやEUROの大会になると、イタリア人はイタリアのサッカーをして、イングランドは相変わらずイングランドのサッカーをしている。
普段、混じっているからこそ、自分の国とナショナリズムを強く意識する機会がある。
それはとても羨ましい。

イタリア人はもう一人もいないイタリアのクラブがいつ出現しても不思議ではないのに、外国人選手に「出稼ぎ組み」「頼れる助っ人」などという言葉をいまだに使う日本など後進国丸出しで恥ずかしくさえある

僕らの国は、他の国と混じることがとても難しい。だから、僕らの引き出しはいつまでも、閉まったままだ。
先日、何気なくテレビを見ていると、川崎フロンターレが、見慣れないチームと対戦していた。アジアチャンピオンズリーグのホームゲームを、タイの大学のチームと闘っていた。
フロンターレなら楽勝だろう、と思って見ていると、とんでもなく苦戦をしていた。最後はやっとオウンゴールで引き分けを手に入れていた。Jリーグを代表するチームの手のひらから、あぶなく勝ち点がこぼれ落ちるところだった。
僕には、広大なアジアのサッカーを想像する力が、まだ備わっていない。本当の意味で、その大陸を闘っていく恐ろしさを知らない。それはつまり世界を知らないってことで、そして僕らの国のサッカーを知らないということだろう。
簡単に勝つべき相手に苦戦をして、インタビューで黙り込む中村憲剛を見ながら、それでも僕はアジアの闘いって捨てたものじゃないかも、と思っていた。
アジアチャンピオンズリーグを応援しているサポーターは、今、一番いい場所にたっているような気がする。
その場所は、日本と日本のサッカーを意識し、強く愛することができる場所だ。
今年、僕らの前に何度かアジアが立ちふさがる。
北京を目指す若者も、オシムが率いる代表も、そして、世界のクラブ大会を目指す川崎フロンターレと浦和レッズも、、、
「日本のサッカー」や「自分たちのサッカー」を語るのは、アジアを勝ち抜いたその後にしよう。
そしていつか、フランス人のように、自分の振り子をいっぱいに振らしてみたい。

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